平成16年9月1日。
 
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暑いのか涼しいのか、それとも湿度が高いだけなのか。
布団からもぞもぞと出るたびにそんなことを思うかえるです。
こんばんは。

「Web日記とblogとは明確に差がある。
 それは、Web日記は感情共感をblogは情報発信を主としているという違いだ」

ここまでくっきりはっきり言ってしまったかはさておきますが、
とある学会で、かえるこんな言葉を耳にする事がありました。

Webの日記には、ざっと考えただけでもいろいろな文章があります。

その日やる事を書き留めるメモ帳から、感情をまとめた小さな文章。
考えた事をもうちょっとまとめて伝えてみたいと思った文章。
それさえも踏み越えて論文みたいに色々調べて考えて、長年色々見た上で書いた文章。

Webで日記や文章を上げることについて、いろいろな考えを持つ人達が、
色んな観点から文章を書いているわけですから、沢山な種類があってしかるべきだと思います。

確かに、その文章というのは、確かに道具によって使い分けられるものであるとも思いますが、
それと同時に、「ある程度書くのに慣れるまでは文章は迷走する」とも思うのです。

「書くこと」というのは、読んでもらいたいと思うと同時に、
考えをまとめたい、思考を共通したいという所から派生するものではないだろうか?
とかえるは思っています。

誰でも見ることが出来る場所(Web日記やblog等)では、
ある程度までの人が共感出来る大きな視野での感情や思考の共感を。

mixiやMLなどの、ある程度みる人が決まっている場所では、
その人を実際に知っていないと分からないような、瑣末な感情や行動の共有を。

「どこで、何を、どこまでの頻度で、どのように書くか」

人によって程度はあるとは思いますが、これを読み間違えてしまうと、
大ひんしゅくを買ってしまったり、怒られてしまったりします。

気持ち的には、「どこに行くか考えてからお洋服を着替えましょう」という気分です。

けれども、最初から「このことはあそこに書こう/ここに書くのは止めておこう」と
完全に律することができるのは極まれですし、
文章をどのように書けばよいのか?という事が分かっている人は、さらに稀だと
かえるは思います。

文章のプロよりも文章を初めて書く人が多いこのWebという世界。

初めて文章を書くのであれば、感じている事を書くよりも知っている事を書くほうが。
このことは違う場所で書こうと自己規制をかけるよりも、
新しい文章を書いたら前の文章が過去に流れてしまうところで書くほうが、
何となく、偉そうかつ楽チンかつ偉そうだと思われてしまいそうだなぁと思いました。

そんな事を思い出した、迎賓館裏口の「読ませる文章を書くサイトさんが減った更新」。

ノートの文章を書く手間を考えると、ブログを沢山書くほうが、
何となく偉そうに感じられてしまう世の中なのかもしれません。


どきどき。




注釈
ブログ:個人的な内容のマイクロコンテンツ(体系化されていない短いコンテンツ)が
    頻繁に更新されるサイト
ノート:ブログよりも長く、より推敲がなされたコンテンツが更新されるサイト
フィルタ:特定の分野のニュースを取り上げ、コメントを付加する形態のサイト

という定義が世の中にはあったりします。

詳しくは、 情報処理 2004 vol.45 No.6 通巻472号の
p586 weblogの現在と展望 −セマンティックwebおよびソーシャルネットワーキングの基盤として−
を参照していただければ幸いです。
      
 
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