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毎日毎日かちかちと作業をし、出来上がらないものは家に帰って作業をする。
そんなことをしばらくしていると、潤いが足りなくなってきたかえるです。
こんばんは。
多分来年の4月ぐらいまで、殆ど毎日の更新はおろか、
かえる単体の自由時間が取れるかよく分からなくなってきている状況になると、
物凄く切なさを感じるようになってきます。
かちかちと作業中、「ああ、ちょっと遠いけど美味しいご飯が食べたい」
と思っても、「その時間があったらもう少し作業が進むよ」と言われてしょんぼりする。
家に帰って作業中、「美味しい梅酒が出来たから、梅だけ食べる?」
と聞かれても、「今何時間かすぐに開けられないから今度ね」と答えざるを得ない。
そして、しょんぼりしてしまう。
そんな、楽しくないことこの上ない状態に叩き込まれてくると、
だんだんと思考が、「合理化」「最短距離」「無駄足踏まない」という
せせこましい考え方になりがちになってしまうのです。
これではよくありません。
人生、作業をするために生まれてきたわけではなく、
作業を通じた上で何かをするために生まれてきたはずです。
でないと、目の前にある膨大な作業をやっつけていく自信が無くなっていきます。
と、楽しくないのか現実逃避なのかよく分からないことを考えていたとき、
買い物先で、「新幹線の形をしたかまぼこ」を目にする機会がありました。
かまぼこの形をどんなに変えたって、かまぼこはかまぼこです。
でも、お吸い物に入れたら物凄く笑いが取れそうなかまぼこです。
思わず買って帰り、次の日作業先で新幹線入りお吸い物を製作、
配ってみたところ、最近ぼんやりなことこの上ない作業の人々も、
「だから、何で新幹線!」と突っ込みを入れつつもなんとなく楽しそうでした。
世の中、何か作業をするときには、合理化、最短距離、時間短縮、と言った事は大切です。
けれども、そればかりやっていたら、だんだんその人はぐったりです。
合理化は余裕の無さを生みますし、最短距離は「もしかして出てきたかもしれない何か」
を捨てることにもなります。
時間短縮に至っては、「ミスをしない」という脅迫観念と共に作業です。
適度であれば緊張感も持続しますが、あんまりやりすぎると伸びちゃいます。
ぐったりさんに変身です。長期的視野で見るとあまり得策ではありません。
そんな、ぐったりさん伸びきりの時。
なんとなく役に立たない物といったものは、何故かぐったりした心に対して働きかけてくれます。
作業中は「要らないもの」として切り捨ててしまう余剰分や時間の切れ端。
けれども、あんまり切り捨て過ぎて、自分も切り捨ててしまいそうになる前に、
あんまり使い道の無いものに対して「どうやって使おうなー」と考え込むのも、
楽しいものだなぁと思いました。
新幹線のかまぼこは、そういう点では素敵な食べ物です。
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