平成17年6月23日。
 
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最近、支払い猶予期間の事を「モラトリアム」と言い換えることが一瞬出来ず、
普通にへこたれたかえるです。
何のことか良く分からないとは思いますが、かえる的には本気でまずいです。

学校の先生が、受け持ち担当の学科を忘れたら大変ですし、
会社の人が、担当部署の説明内容を飛ばしたらおおわらわです。
弁護士の人が、普段良く使う法律内容をポカっと抜けたら、当分地味に凹みそうです。

そんな、自分の意地とプライドと存在意義までかかってしまいそうな「覚えておくこと」
そういうのを日々使って生活していると、「これは忘れてはいけない」「知っていて当たり前」
という生活になっていきます。

別段、苦も無く覚えていることなので、さほど難しいというわけでもないのですが、
何かちょっと専門から離れてしまったり、逆に専門ど真ん中な事があった場合、
「これを答えられなかったら、自分としては本気でまずいぞ」という、
当人的には根性がかかったものになってしまったりします。

万が一これが答えられなかったり、適切に説明できなかったりすると大層凹みます。
へたをすると、「実は自分に合っていないかも」と辞めて行ってしまったりします。
「専門がある程度できること」を「自分自身」にしすぎると大変であろうという、
良い見本です。

けれども人間実際問題、多少の程度はあるものの「これは得意」と思い込むことで、
自信をつけたり、自己を確立することは良く有ります。
逆に、全く無い方がそれはそれで問題です。

自信が無くてもいけない。
かといって、それ一つに自信を異存しすぎて「分からない」が言えないのも、
長期的に見ると切ない。

そんな、矛盾だらけの人の心。

「分からない」と言うことが無かったら、新しい事を知る機会がありませんし、
かといって「分からないことだらけ」だったら、人として凹んでしまう。

これをどうにかバランスをとりつつ、新しい事を知りたいのであれば、
専門以外のものをするというのが、一番手っ取り早いのでは? と思うのです。

自分の得意なものをするのではないので、「分からない」と言っても自身に傷付けられませんし、
新しい概念を、一つ一つ覚えていくというのは、それはそれで結構楽しいものなのです。

何でそれをするのか分からないものであっても、後の行動をする為には、非常に重要な複線であったり、
一定の時間でその間の所作を終えないと、気づくと目の前に何もなかったりと、
地味にスリリングかつ、価値観がぐにぐにと変わっていくという感覚。

専門から離れてしまえば離れてしまうほど、そのぐにぐにと変わる価値観の多様さに、
面白いと感じるのではないでしょうか。

忙しくて仕方が無いと、これしかないと思い込んで、自分を追い込んでしまう前に、
価値観もいろいろあるという事を学んだ方が、後々自分が楽しいのでは? と、
かえるはちょっぴり思うのです。


唐突に、天から降って沸いてきた、1ヶ月間てんてこ舞いが続いたかえるの生活。
あと1週間ぐらいで、ようやくてんてこ舞いが終わりそうです。

てんてこ舞いは大変ですが、かえるの体力でも何とかなるという事実が、
そこはかとなく幸せだったりするのです。

ほくほく。
      
 
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