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時折まじめな事を書き散らすと、「何か嫌なことあったのですか?」と
お手紙をいただきます。
そんなに毎回、酷いことを書いてしまっているのか? と考え込むかえるです。
こんばんは。
そもそも「言葉」というものは、学ばなければ使うことも出来ない上に、
文字だけを学習することは殆どないのだから、誰かが使った言葉を耳にするなり
直接言われるなりをしなければ、そのタイミングで使うことが出来ない。
言い換えるなら、「言葉」というものはその人の生活歴の固まりであり、その人自身である。
だから、「言葉」を聞くときは、その人の言葉の意味合いや生活背景や感情突出の仕方、
そんなものをきちんと考えに入れなさい。
耳にするには容易く、されど実行するには相当な根性が必要な「言葉を聞く」という事。
これを数年間みっちりと気にして生活していくと、「気になる言葉」というのを、
延々と気にしながら生活することになってしまいます。
けれども、「気になる言葉」というのは大概、
生活上避けては通れない、かえる的不条理や憤りな事柄の中にあります。
聞いて腹が立ったり、イラついたりと内心を大層忙しくしてくれる時には、
非常に困ってしまう上記の言葉なのですが、
ある程度の時間を置くことが出来たら、大概のことは腹が立たなくなって行きますし、
1週間ほって置けば、大概の事は水に流せるぐらいの薄さになっていきます。
そういう一時感情が薄れた後から考えはじめる、「その言葉の背景にはどういう意味があるのか?」
という宿題。
自分が完全にワルモノであるというのも、相手がワルモノであるということもなく、
価値観の相違であると責任転換することもなく、
「なぜ、不条理に思ったのか」「相手はどう考えていたのか」「前提条件はどこから喰い違うのか」
延々じわりじわりと考えておいて、そのうちちょろりと一文書いてみる。
書ききったのち、しばらくほっておくと攻撃性や誇張などがにじみ出てくるので、
それを削ったり、補足したり、論文材料に使ったり、人に喋ったりしてみたりして、
かえるなりの言葉に対する考え方をちまりちまりと作ってみる。
そうやって、時折書いてみるまじめっぽく見える話なのですが。
「嫌なことが?」と思われてしまう段階では、まだまだ修行が足りないなぁと、
お手紙を思った今日一日でした。
世の中、そう簡単には考えもまとまってくれないみたいです。
難しい。
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