平成17年7月26日。
 
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100gいくらで買う駄菓子の数々が、それぞれ一袋で買うよりも美味しくないと知っていても、
それでも色んなものを選択することが出来るという魅力に勝つことが出来なかったかえるです。
こんばんは。

新宿駅から子供の足で30分という、ある意味微妙な地域に住んでいたのにもかかわらず、
甘い贅沢品というものに、免疫が無かったおたまじゃくしのカエル。

元々、おやつを食べるとお夕飯が入らず、お夕飯が入らないと体重が落ち、
体重が落ちると、「お母さん、子供にもっと食べさせてください」と注意が行く為、
甘いものなど滅多に食べさせてもらえなかった為、余計駄菓子の類は魅力的かつ、
手の届かないものだったのです。

駄菓子の罪の一つは、あのぴかぴかと光る包み紙と、
いかにも体に悪そうなあの綺麗な色。

時々、親には黙ってこっそりと買い与えられるそれらは、見ているだけで幸せで、
なかなか食べきることが出来ず、ぺたぺたとするまで見入って苦笑されるという、
そんな苦い思い出すらある駄菓子の数々。

そんなみみっちぃ思い出がありすぎるため、おたまじゃくしの頃の贅沢願望は、
「大きくなったら、思う存分おやつを買えるようになる」という、
それはそれは情けない願望でした。

それから、いい感じで10数年。

駄菓子を買おうと思えば、売り場に出ている全ての駄菓子を買い占められるぐらいの貯金は出来、
おたまじゃくしとの約束はかろうじて守れるようになったのですが、
最近の願望は、それとはちょっとだけ違うようになりました。

「美味しいジュースが沢山飲めますように。」

甘いものを食べることよりも、さっぱりした物を飲むことのほうが大好きになったかえる。
冷蔵庫の中には、常にフルーツの飲み物を欠かさないようになったのですが、
どうせ飲むなら美味しい飲み物が飲みたいものです。

偉いところで頼むと、お店の隅で絞っていれてくれるフルーツジュース。

あれが家でも出来るようになると、それは素敵だろうなぁ…とうっとりし、
それには、常に完熟した果物と搾り機が必要だとわかって挫折。
常に飲む物に出せるほどの手間暇賃金ではなかったからです。

代わりに濃縮還元のジュースを、これでもか! とばかりに飲む毎日なのですが、
それでも、「目の前搾りたてはおいしいよなぁ…」と、贅沢なものにうっとりするのも実情なのです。


小さい頃からの、そしていろんな人が言う「贅沢したい」という言葉。
けれども、自分が置かれている状態からかけ離れた贅沢というのは、人間思いつくはずもなく。


となると、「贅沢をしたい」というのは、とどのつまりは意外とささやかなことだったりするのでは?
などと、久しぶりに飲んだ100%のジュースに幸せになりつつ思った夕方でした。

目の前で、ぎゅぎゅっと搾ってくれるのは、見ていてなんとなく幸せです。
      
 
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