平成18年6月3日。
 
Picture
○
さっぱり更新していないなあと反省していたら、
先月やたらと本を読んでいた事に気付きました。
確かにそれじゃあ書けません。

外を向いたり、人の寝顔を眺めたり。
混雑の中で神様が紛れていたら、躊躇わずに捕獲して、
携帯にぶちぶちと打ちこんで。

普段は、眠気と混雑具合と神様次第で打ち込んでいる更新なのですが、
それでも時々は紙に鉛筆で一文字一文字、書き殴ることがあります。

稀に時間が出来たものの、携帯使用が不可能な場所であったり、
その後すぐに添削される文章だったりするものなのですが、

如何せん空き時間を使っての書き散らしなので、電話に呼ばれたり、
店員さんに呼ばれたり、上の人に呼ばれたり、
はたまた、美味しげな匂いに誘われたりと、
思考と関心はぷつぷつとあちこちに飛んでしまいがちなのです。

自主的な、或いは数秒間の介入による思考の遮断はまだ良い方。
読み直したり、考えこめばまだ再開できるのですが、
席を立ったり、長時間の中断を余儀なくされると大変です。

温かなスープが冷めて味気無いものになるどころか、
見事に皿の中身だけ綺麗に無くなっている状態に陥ります。
残っているのは、店員さんの書かれた勘定書きのメモと、底に残ったスープの色味だけ。

こうなると、思考の再開どころか、
今まで何を考えていたか?という自分思考を再度考えなおす羽目になるのです。

手がかりは紙にかかれた文章のきれっぱしだけ。

運が良ければ途中まで書いてあったり、
書きはじめだけは残っていたりしますが、
酷いときは「こんな事を書く」という数行や、結論の一行しかありません。

かえる自身で書いたのにも関わらず、さっぱり解読できないメッセージ。

ダイイングメッセージがヒントだと言う探偵の方がいらっしゃるのであれば、
かえるの文章も解読してもらいたいと、切に思うほどなのです。

そこまで難解なら、さっさと新しい何かを書きはじめれば良いのでは?とも思うのですが、
せっかく書くと決めてかきはじめていたきれっぱしです、
何とか書ききって成仏させたい気持で堪らないのです。

そんなこんなで、ダイイングメッセージを発生させる度に、悩んだり、その日一日を振り返ったり、
何かヒントが無いかと紙を叩いたりしてみるのですが、元通りには殆どならず、
結局、違う日記になってしまうこともしばしばです。

何だか意地でも使ってやるという、みみっちさ漂う日記メモ。

だだ、なだめてもすかしても、さっぱり分からない切れはしも、
多々発生する訳でして。


今日、お昼から帰ってきた時に机の上にあった言葉の切れはし、
「まめ」とは一体何を言いたかったのか、
さっぱり分かりません。

豆ご飯が美味しい季節なのか、
ソラマメのスープの作り方を披露したかったのか、
はたまたマメマメしい何かについて考えたかったのか。

未だかつて無い短い切れはし。
流石に名詞だけは無理だと理解した午後でした。

なんだろう…。
      
 
Prev Index Next

Top