平成19年2月18日。
 
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梅が咲くのを見ては、ぽかりと晴れた空との対比に目を奪われ、
桃が満開になるのみては、その柔らかなピンク色にめろめろになり。
その割にはさっぱり人様と感想の共有が出来ないまま日々を過ごしているかえるです。
こんばんは。

忙しくなればなるほど、そして部屋に人がいなければ居なくなるほど、
往復の電車の中や、ちょっとした休み時間を全部使って更新するぺけん。

暇が出来たときや、どうしても伝えてみたいことがある時に書くのが、
日記の基本ではないのか? と常々疑問に思っていたかえるの癖でした。

けれども、最近になって毎日人様と作業をするようになった瞬間、
ぺけんに振り分ける時間と根性がさっぱりと途切れてしまうようになりました。

書きたいことは沢山あって。
沢山どころか、殆ど1、2ヶ月分の書きたい事のストックは溜まっていて、
後は書くだけという状態までのものが沢山あるのにもかかわらず…です。

普段一人でしていることを、複数人でしていますし帰宅時間も大分早いので、
「さて、書くー」とメモ帳を立ち上げた瞬間、ぽかりと書けなくなって
しまうばかりなのです。

時間が無いときには書きたくて、時間があるときにはさっぱり書けない。

大層な文章を書いているわけではないので、毎日コンスタントに書ければよいのにと、
自分自身に毒づいてみても、こればっかりはさっぱり原因がつかめず。

などと、一匹布団の中でごろごろと困り倒したり、途方にくれたり
だらりだらりとお茶を飲んだりしていたのですが、ふと気が付いたことが唯一つ。

今まで、ずーっと殆ど一人での作業でした。
梅が咲こうが、桜が咲こうが、駅の改札口で小さな子どもが全力で泣きながらうろうろしようが、
うっかり声をかけたらそのまま泣き逃げられたりしようが、誰にも言えないというこの生殺し。

かえるだって、生物です。
綺麗だったら伝えたいし、びっくりしたら誰かにそれをお話してみたいし、
意外と上手におやつが焼けたら、一匹ニマニマではなく誰かとほっこりしたいものです。

本来、日常生活で不足無く発散されるはずの共有したいという感情。
これがさっぱり解消されなかった場合、「これを伝えたい」という感情だけが生き残り、
ぽつぽつと思ったことを書き続けている日記になるのだなぁと、ふと思った夜中のお茶時間

誰かに言いたくて書いている日記。
もしかしたら、「誰か」が決まってしまったら書かなくてよいという定義すら、
成り立つのではないかと思ってしまいました。

本来、「自分だけが読み手である事を前提とする」はずの日記。
それをwebで書く段階での変化というのは、ある種、このような変容をするのでしょうか。


ちょっと、気になってたまりません。
      
 
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