平成19年4月9日。
 
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それがどんなに甘い考えだと言われても。
そもそも人を育てるなどと驕った立場に居るなら、思い続けなければならないと思っているかえるです。
こんばんは。

学校を出てしばらく経って。
もしくは持ち場が変わって一通り学び終えて。

上から延々と教えられたり、いわれ続けたりが途絶えると、
次に言い渡されるのが教育係。

最初のうちは、自分に教えられるなんて可哀想にと思っていても、
後進のあまりの出来なさ具合にびっくりするのもまた現実。



最初だから仕方がないと思っていても、仕事が忙しくなったり、
思いもがけない所で大ゴケされると、人間誰でも「いないほうが早いんじゃ。」等と、
げんなりしてしまう事があります。

思うまでは、まぁあること。
けれども、それを思い続けてしまっていると、
だんだんと悪い方へと事態が傾いてしまうのもあるのです。

疑問程度で思っていたものが、げんなりとした確信に変わってしまうと、
次に起こるのが、その人自身へのマイナスイメージの決定です。


あの人は駄目だ。

と思ってしまうと、人間どんなに隠しても、態度や言葉の端にそんなものが滲み出てきがちです。

そして、ほんのわずかな物であっても、それは本人や他者に伝わります。
人間、無条件の期待にはうっかり答えてしまう生き物です。

駄目だ。と思われれば、駄目なように。
出来る。と思われれば、出来るように。


出来るようになる直前までは、概念や微調整から教える側は勿論、
教わる側も大混乱ですし、ふてくされた様に見える事もあります。
けれども、感覚的に非常に混乱した中でも続けているのであれば、それはやる気があると見るべきですし、
こちらが嫌気が差さないようにする事が何より重要です。


我々は驕った立場にいる。
我々はピグマリオン効果を圧力無しに適切に使えているか。

この時期、教育係のぼやきや、教育を受ける側のうなだれをみると、毎年しみじみと思ってしまう一つです。

人は、意外なまでに素直で敏感で驕る生き物です。
自戒ばかりを込めて。
      
 
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