4月1週。
夢にも出ました。
業務上、本やら雑誌やら論文やら逐語録やら事例集を読むことが多くあります。
ついでに世間話も良くします。
端的にいえば、雑誌は即時読破、本なら1m、論文等は30cm程積まれています。
かなりの積ん読状態となっておりますが、それでも毎日読んでます。
埃をこまめに払うことが最重要課題です。
そんな訳で、毎朝毎晩文章です。
しかし、読んだらおしまいにならないのがこの「ひたすら読む」の悪い所、
読み終わると、要約したり、曲解したり、忘れたり、思い出したり、組み合わせてみたりと、
関連資料が終わるまで、むつむつと頭の中で再生し続けます。
良い事の再生なら大層楽しいのですが、大体の資料は不幸な事の連続です。
そんな不幸な出来事シリーズをひたすらむつむつと再生していると、
だんだんと不思議な気持ちになっていくことがあります。
それまで考えていた物事が、さも、自分が経験したかのような気持ちになってくるのです。
確かに、映画館などでは主人公と同じような気持ちになる事はあります。
それともまたちょっと違う、出口の見えないトンネルに迷い込んだかのような気持ちになるのです。
明らかに経験したことのないはずの音、匂い、痛み、衝撃の瞬間のひやりとした心の冷たさや、
追ってくる手先のひんやりとしてくる感触、全てを持っていかれる絶望感や、
先が見えなくなった諦めとその理不尽さと、それに対する怒り。
「果たしてどういう状況だったのか、どういう前提条件を持ってその体験をしたのか?」と、
考えれば考えるほど、自分自身に起こったかのような錯覚にとらわれ、
不可思議な怒りや苦しみやら、誰かに訴えたくてたまらない気持になるのです。
これが自分自身で体験したものであれば、その瞬間は「これ、どないしよう!?」の状況に
他の事を考えている暇はありません。
後からじわじわ「大変だったなー」やら「二度とあれはごめんだわー」やら、
「次はこうしよう!」と考えたり感じいったり、パニックになったりします。
しかし、頭の中の恐怖はそうはいきません。
考えれば考えるほどに、詳細を詰めていけば詰めていくほどに、しんしんと恐怖を深めていきます。
これはもう、本当に怖い物です。
後から思い出して「怖かった」と思う以上に、「次回はもっと酷いに違いない」と、
運よく差しのべられた可能性を排除して、不幸の連鎖のみに目が行きがちになるからです。
当然、時と場合と場所と人にもよります。
脳はとても素敵に働きます。
存在したものを無きものに、存在しなかったものを存在したかのように、都合良く歪めるのが得意です。
本当にすごい機能だなぁと感動すると共に、脳の中で拡大再生産し続ける恐怖というのは、
実際にあったか否か?をこまめに振り返らないと、完全にだまされてしまうなぁと、
むつむつ再生しながら思うのです。
おばけこわい。
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