平成25年5月12日。
 
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5月2週。

未だに「美味しいカレーの作り方」には出会えておりません。


むつむつと論文集やら何やらを読んでいると、「正しく把握する」の先にあるかもしれない
「正しく曲解する」をしたくなって来ることがあります。

論文とは、一つの事象を多方面から考え、検証し、その上で仮説を立て、調査・観察をしてデータをとり、
処理を行った上で、そこから浮かび上がってくる事柄より仮説を検討しなおしていく過程を
分かるように丁寧にかかれた言葉の完成系です。

どれを読んでいても、それぞれ贅をこらした素敵な論文ばかりです。

しかし、論文には、残念ながら小説のようなダイナミクスな展開や、
x軸、y軸上の話に、突如としてz軸が乱入といったSFのような怒涛の展開や、
「おまえ!なんて事を!?」といったまさかの乱入は存在しません。

大変残念なことです。

仮に乱入しても、推敲の段階では削られてしまうようわけですが、
しかし、読みとる方が妄想するのは自由です。

要するに書く方は制約あり。読むほうはフリーダムです。
よし、曲解しよう。


というわけで、曲解始めました。


青年期における人間の頭の中では自分を他者との関係で測っている。が、
成人期における人間の頭の中では自分を独立の存在と考えている。

という論文から、

青年期は他者と自己を勝手に比べて凹む時期である。

と誤訳し、

比べる他者そのものを、頭の中から追い出してしまえば凹まない!

と曲解し、

日常生活において、少しでも凹むような場面においてはご飯の事だけ考える。

と帰着しました。

スタートからゴールまでずいぶんと遠くに来ましたが、
人間とっさに良い事を考えようと思うと、ご飯の事ぐらいしか考えられないと思い
このような考えに至りました。


そんな訳で、日常生活においてご飯のことばかり考えました。

「何か、今、花粉の薬で面白い事口走ったかも!?」と思った時にはお昼ご飯の卵焼きを考え、
「あ、今計算ミスした」と思った時には、卵焼きの中に入れる切り干し大根の事を考え、
「今、すっごいのやった!」と気付いた時には、明後日の肉じゃがのお肉の事だけ考えました。

やったことの反省はします。次回へのフォローもします。
しかし、それ以上の考えは全てご飯の事を考える事でシャットアウトです。

それを延々数週間ほど繰り返した所、
最近では3日先のお夕飯の献立をコンスタントに考えられるようになりました。
手順も丁寧に考えているので、作るのもラクラクです。

ご飯は美味しい。日常はご飯まみれ。なんて素敵!

などと、幸せ一杯に暮らしていたところ、コツを聞かれることがありました。
かえるだって幸せはおすそわけです。力いっぱいこたえました。

「ご飯の事だけ考える!」


最近、周囲の目が「とうとう花粉が頭にまで…」「所詮二足歩行の両生類…」と言っている気がしますが、
頭の中だけで展開されているご飯シリーズの方が美味しそうです。

美味しくない人生よりは、美味しい人生の方が魅惑的です。

というわけで。

夜寝る前に多目に焼いたしゃけを炊きたてのご飯と一緒に混ぜ、
梅干し入れたおにぎりを作るのが、何よりも楽しい人生を過ごしております。


曲解万歳。
      
 
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