
9月3週
いつものように、うろこを落としておりました。
この所、暇さえば掃除をしていました。
「毎日しても良いのだよ」と世間は言うかもしれませんが、
こうも毎日どこか掃除や手を入れては綺麗にし、
「もっと綺麗にならないか?」と頭をひねり、
最後には、手持ちの様々な在庫を処分しはじめたり、
新しいものを買わないようにと、思考錯誤を始めると、
「掃除」からかけ離れた、何か?を始めているような気がいたします。
じりじりと綺麗にはなっていく家。
だんだんと、余裕がなくなっていくかえる自身。
何だかおかしいなぁと、理由も分からず困っていたのですが、
ここに来て、一つ仮説をたてられるようになりました。
周囲です。
かえるだって、世間のはしっこでみみっちく生存している生き物です。
人様の間にひっそりと立ち、人間関係と労働と共に生存しております。
当然、仕事の間に世間話をしてみたり、
世間話の間に仕事の話をしてみたりなんぞいたします。
しかし、これが難問です。
毎日の余裕がある時には、緩衝材。
潤いとなる素敵な時間となりますが、余裕が無くなってくればむしろ逆。
辛くてたまりません。
何を話せばよいのか。
相槌がさっきから同じ気がするけど、大丈夫だろうか。
出来たら仕事に戻りたいけど、このかた世間話で仕事のヒントも下さるし。
くるりくるりと話題が反転し、どんどんと論点が変わっていく世間話ですが、
時にはブームが発生します。
時には健康の、時にはカレーのこだわりの、時にはお気に入りの論文の。
ブームは入り乱れて局所的に深くなり、そうして、今回は「理想の第二、第三の人生」という
個性が乱れ飛び、答えの無い所へ行きつきました。
一人ひとりがこだわりの第二、第三の人生について語ります。
美しく、軽やかに、艶やかで、華やかで、ぱっと散る不可思議な人生観。
誰も突っ込まない代わりに、代わる代わる自慢をしていく様は、
「ああ、仕事忙しいのだなぁ」と思うに十分でした。
毎日きゃっきゃと仕事をしておりましたが、普通に仕事が山でした。
現実逃避のように、仕事と仕事の間で詰め込まれる理想の人生。
くたびれ果てて、家のドアを開けると、雑然と詰め込まれた物達。
その光景は、
片づけたい。
全部すっきりと片づけたい!
と、思うのに十分過ぎ、毎日ちまちまと片付けをする意思を持つには十分でした。
片付けました。
美しく、軽やかに、艶やかで、華やかで、ぱっと散る不可思議な人生観に会うような、
すっきりと美しい部屋にするべく、大変に頑張りました。
現実は過酷です。
片づければ片づけるほどに、どうしても捨てられない物の多さに恐れおおのき、
新しく出てくる様々な美しい物に、心惹かれてたまりません。
頑張っても頑張っても、それでも片付かない家の数々と谷があり過ぎる人生。
こんなに頑張っているのに、どうして片付かないのだろうか?と、
自分の作業能力に悲しくなっていたのですが、この仮説を立られるようになり、
更に一つの理論が飛躍いたしました。
周囲の年齢と、かえるの年齢です。
基本、周囲の中でぶっちぎって年少者なのがかえるです。
運が良くても10歳差、運が悪いと50歳程の差が発生します。
ここまでくると、もはや同じ方向を見ていても、同じ物が見えているとは限りません。
相手は、思い出を目にしている危険性すら発生します。
そんな方々と話す世間話。
彼らは今までの過去という糧があるからこそ、美しい未来が見えておりますが、
かえるには、糧がございません。
うっかり同じ夢をみたら最後、現実という支払いが待っております。
つまりあれです。
かえるが同じ夢を見るには、まだまだ人生酷い目に遭い、
その上でどうにか帳尻を合わせる労力を使い、
結果どうにかこうにか「頑張った自分」という糧を作らなくてはいけなさそうです。
たかが世間話。
されど世間話。
皆が同じ条件で、語っている訳ではありません。
大変に、ご用心です。
まる!
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