平成26年9月28日。
 
Picture
9月4週

それはもう、しょっちゅう忘れたりしています。


全力で忘れた今日この頃、毎年来るものがあります。
試験結果です。

最初の頃は、「全て過去の事だから」と放り投げてきましたが、
流石試験です、逃がしてはくれませんでした。

人生の要所要所で、「Hi!」とやってくる試験。
走って逃げても、どこまでも人生と共にやってくるので、
最近ではもう諦めて試験結果をじっくり観察するようになりました。

点数が良くても悪くても、
まず必要なのは、「どこが出来たか、出来なかったのか?」の理解です。

劣等感の塊の時には、自分がいかに出来ないのか?の証明となるようで、
とても嫌な作業だったのですが、
冷静になってみれば、これは、どこまで出来るのか?の証明にもなるのだと、
思えるようにもなりました。


微妙な気持ちになりつつも、それでも観察し続ける試験の結果。
テストの点数だけの時もありますが、最近ではテスト内容も分かる事が多いので、
手元の答えと付き合わせては考えます。


出来た時には、何故出来たのか。

知識が足りていたのか、それともたまたまなのか。
問題の中に、知らない知識は出ていなかったか。
ついでに覚えておいた方が良い、新しい知識はなかったか。



出来なかった時には、何故出来なかったのか。

必要最低限の記憶知識が足りないのか、
知識を応用する理解力が足りなかったのか、
はたまたうっかりミスなのか。

知識が足りないのであれば、まずは覚える練習が要りますし、
理解力の為には、書き変えたり、他人に伝えてみる事が必要です。

うっかりミスの場合は、これに気付けるようになる訓練をしなくてはなりません。



こうなってくると、もはや何か特定の勉強の定義ではあてはまりません。
日常の思考の癖をどう修正していくか?という生活の修正になっていきます。

毎日の生活の中の物なら、その毎日の生活の中で勝手に育っていくのではとも思える、
この思考の癖や、行動の偏り。

それにも関わらず、毎日の中では殆ど見つけられずに生活してしまうのは、
その癖が自分のものとして定着しすぎてしまっているからなのだと、
かえるは勝手に思っております。

毎日続けていって、気付くと自分が便利なように改変してしまう物や事。

その経験の結果が、自分に不利益にならぬよう、
ときどきこうしてチェックを入れる。

一度にどかんと修正がくると、人生大変きついものですが、
時折、まれにぐらいの頻度でしたら、習慣にすればなんとかなりそうです。

しょっちゅう忘れて同じ事をしがちな物ですが、
時に気にかけて繰り返していけたなら。

そのうち、出来るようになるのではないかと、
毎日気を付けては、テストを眺めてため息をついています。


最短距離は、大体、最長コースを兼ねてます。


不可思議!
      
 
Prev Index Next

Top