9月10日


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今回けろりんを書いていて一番怖いのが、これを読んだ中学生の怒りではなく、
青年心理学で自己嫌悪感を研究している人たちです。

理由は簡単。
日本でそういうのを研究しているのは大体3人。

こんなのを書いているのがばれた日には、
往来で出会っても走って逃げなくてはいけません。
大変まずいです。

ということで。

これ以上まずいことは言わない。という事を胸に刻みつけ、
大人しく大人しく書いていこうと思います。
     
 
   
   
   
   
   
1.高校生の自己嫌悪感
とにかく色んなことが嫌で仕方が無いという中学生から、
まだ、できる事、できない事がわかるようになってきた高校生。

制服を着ていても、「どこのお商売の方です?」というぐらい成長しちゃったのから、
「お姉さんの制服借りてきちゃ駄目だよー」というぐらい成長していないのから、
どこからどうみても正しい高校生に見える高校生から。
そんな多種類な高校生と同じぐらい、高校生の自己嫌悪感は中学よりも増えてしまっています。

側から見たら、大して違いが無いのに必死になって髪や制服をきれいにし、
朝ごはんを食べずに出て行ってしまう。
にきびが顔に増えたから学校に行かないと不思議な行動、言動に出る高校生。

さすがに中学生よりは自己嫌悪感を感じるポイントは減ってきていますが、
高校生の自己嫌悪感のポイントは「友達にどう思われるか?」というもの、
そして、「自分は他者から見ておかしくないか?」という、
外側からの認識を強く意識したものになっています。

人の中身よりも外側。

とにかく、仲間と認めた人たちから排除されたくない。
さりとて、その人たちが本当に仲間かと問われれば「違う」と答えるしかないような
あいまいな状態。

孤独であることを何よりも怖がり、そして、そのためには思考や行動すらも変容させてしまう。
そして、そのことでまた悩む時期。

これが、高校生の自己嫌悪感なのです。


2.高校生の実態(心理用語で説明編)

高校生にもなると、自己嫌悪感は分裂を始めます。
1つは人との関係のなかで生じる、対人的な自己嫌悪感であり、
もう一つは自分を見つけて生じる、対向的な自己嫌悪感です。

中学までは、何か自己嫌悪感を感じるような場面に陥った場合、
「嫌」という感情だけに支配されていれば済んでしまいましたが、
高校生になるとそこまで単純な感情に支配されていてば済むという話でもありません。

例をあげると、

中学生までは、
違う友達と教室移動。 → もう、私とは友達じゃないんだ。 もう嫌いだ。

高校生になると、
違う友達と教室移動。 →何で違う人と行くの?腹が立つ
           →何て酷い事を考えるのだろう。友達は自分のものじゃないのに。
           →自分はそんな酷いことを考えていたんだ。
           →自分はなんて駄目な人間なんだろう
           →そもそも、何で自分はこんなに度量の狭い人間なんだろうか…。
           →こんな風に思っているのは自分だけに違いない。

と、どんどんと違う方向、めんどくさい方向へと行ってしまい、
更には、自己へ向けられた怒りといらだちの心理状態(自己攻撃)や、
自己に対するさげずみとあきらめの心理状態(自己蔑視)に突入し、最終的には、
異端意識を抱えたこと故の、周囲との違和と断絶の心理状態(自己異端視)にまで突入してしまいます。

世の中程度はあるものの、この程度のことは誰でも一度は考えるのに、です。

けれども世の高校生は「皆そのぐらいのことは考える」という事を綺麗さっぱり棚の上におき、
友達との小さなやりとりで深く傷ついたり、大人の考えなしの言葉に激しく動揺したり、
どうにかそれを克服しようと試行錯誤し、失敗したおす。

それが、高校生の時の自己嫌悪感なのです。



3.高校生への対処

高校生への対処と言っても、この時期になると、高校生と親両方の対処が必要になってきます。
両方とも大事なのですが、これを同時にかけるほど、けろりん賢くありません。
今回は、 親への対処 と高校生への対処 に分けて書いてみたいと思います。

3−1 親編。
ようやく自我が芽生えてきたと思っても、やることなすこと子供な高校生。

その上、掃除をしようと部屋に入れば怒られてしまい、
夜遅く帰ってきたので、いったいどこに行ってきたの?と聞けば怒鳴られてしまう。

今までは手のかからない良い子(自分に対して従順な子)であったのに、
もう、これならどこかへ行ってしまってほしいと思う高校生。

実は、大人側にも変化があるのを知っているのはごく稀だといわれています。


子供が小学生の時、彼らの世界は「親中心の世界」です。
相当自分に不利な事。仮に不利なことでもあっても、時間がたつと、
何でも親にしゃべってしまい、親の側でも子供が何をし、何を考えているのか?
という疑問をあまり考えずに解消できる一番良い時期です。
まだまだ親自身も若いし、体力があるので一緒に遊んだりもできます。

子供が中学生の時になると、彼らの世界は「自分と親」になっていきます。
ようやく少し「自分」というものが出てきたというものの、
そのほとんどは、親への従順か親への反発という「主体は親」という小さなものです。
しかも、我侭になる割には親への甘えは以前あり、程よくかまってあげないと、
あっという間に拗ねてしまい、運が悪ければ家庭内暴力です。
かまってほしくて、でも、完全に親だけの世界は嫌になってくる。
そんな時期でもあるのです。

そんな「親大好き」な子供ですが、高校生になると勝手が変わってきます。
彼らの世界は「自分、と恋人または友達中心」になっていき、
親の存在ははるか遠くに見捨てられているように感じられます。

親の言うことにはそむき倒す割には、友達や恋人の言うことは、
多少変であっても、自分と違う意見であっても、受け入れてしまうし、
受け入れることに必死になっていってしまいます。

しかも、子供が高校生になる頃になると、親は大概人生の半分の折り返し地点まで到達しています。
行動というのは「今までの経験をかんがみ、できるだけ失敗のない方法でやる」というのが、
身に染み付いてしまっているお年頃です。

子供の向こう見ずさや世の中と適合しない行動に、
はらはらしてしまってしかたがありません。


けれども、ここで「もう大人だから」と介入する手間を放棄したり、
逆に激しく「こうしなさい」と介入するのは間違いです。

前者の行動をとってしまうと、「親は自分のことなんかやっぱり嫌いなんだ」と
疎外感を強くしてしまいますし、
今の自分にとって都合の良い友達とひたすら「嫌われないように」動いてしまいますし、
後者の行動をとってしまえば、ぷち家出されてしまうのがおちです。


わざわざ、自分の子供をより危険な立ち位置にさせる必要はありません。
どう考えたって、行動と時間の無駄です。
疲れます。


ようやく自我が芽生え始め、分からない割に必死で考えた事。
これを馬鹿にされてしまっては、子供は「全自分」を否定されたと思い込み、
相手を嫌悪したり、自分がようやく持ちはじめてきた自信を木っ端微塵に打ち砕かれたと凹むだけです。


自分の半分以下の子供が、ようやく答えっぽいものを出した。
仮に、それが失敗したとしても、まずは怒らず、飽きれずに、受け入れることが
必要なのではないでしょうか。

仮に「介入して、十分何とかできている」としても、あんまり押さえつけてしまうと、
大学に入った瞬間家に帰ってこなくなったり、遅れて世間探検をはじめる実態を発覚するだけです。

言葉で言うのは簡単、実行するには嫌気が差すほど人間鍛錬が必要ですが、
今後生きていくのにたまには修行も必要です。
あきらめてください。



3−2 高校生編
ようやく自我がちゃんと芽生えた。
その割には、世の中がいまいち把握できていないので、
「何ができるのか?」「何をすべきか?」よりも、
自分がやりたいことが優先事項第一位になってしまう高校生。

けれども、別に何も考えていないわけではなく、
「これをしておいたほうが良い」という今までの親の姿勢は頭の中に入って入るのですが、
いまいち理性が本能を上回ってくれないのがこの時期なのです。

部屋を片付けなきゃと思っても片付けられない。
いらいらしているうちに、「片付けなさい」といわれて怒鳴る。

早く帰らないと親が心配すると分かっているのに、
友達と居るのが心地よくてつい居てしまい、門限に大幅遅刻、
怒られてしまい、腹が立つ。


感情を上手に律すること、そして、自分の感情、意見を冷静に伝えることがとても苦手なため、
つい怒鳴ってしまったり、感情的に行動してしまい、後でだいぶ後悔したりするのです。

そんな、感情的になりやすい時にもかかわらず、「大人だ」と責任を求められたり、
けれども、どんなに頑張っても大人の様には知識も経験も行動もついていけない。


友達だと思ったら「違う」と言われてへこんだり、
離婚した親に「おまえしかいない」と言われて頑張ったら、あっさり再婚されてしまい、
「ええと、今までの自分てなに?」と飽和状態に陥ったり、
子供なのか大人なのかどちらかに決めてくれと怒鳴りたくなるぐらい、
周囲の対応がアバウトな高校生。

にもかかわらず、中途半端な時期に「どうにか生きていきなさい」と放りだされる時期。

クラスの友達と、部活の友達と、中学生からの友達と、
運とタイミングがよければ親友や、彼氏と。

そんな人達と一緒に、大人でもなくかといって子ども扱いもされず、
かといって何か出来るようになるわけでもないという閉塞感の中で、
これといった解決策も無く、ひたすらうにうにと悩み続けるほか、
実はあんまり道が無かったりするのです。


中学よりはもうちょっと広く、そして、大人よりは確実に狭くて規制のかかり、
あまつさえそこから逃げられないという、切ない世界に、高校生は生きているのです。
     
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