9月11日


第1夜

第2夜

第3夜

第4夜

アンケート


絵日記

秘密

LINK


 
   
   
毎夜毎夜、説明する年代にあわせて制服や髪型を変えているけろりんですが、
今回、「大学生」というので大層困ってしまいました。
短大と大学生でも、服装は違いますし、女子大と共学でもやっぱり服装は違います。

いろいろ考えた挙句、そこら辺を歩いていた大学生と思われる方の格好に、そのまま着替えてみました。
さすが二次元、所詮は色を塗るだけなので着替えるのは楽チンです。

そんな楽屋裏を無駄に披露しつつも進む、第3夜目。

今夜は、「大学生自己嫌悪感」がテーマです。
     
 
   
   
   
   
   
1、大学生の自己嫌悪

さすがに高校生までのように、盗んだバイクで走り出してみたり、
校舎を破壊活動した後に走って逃亡したりと、
破壊活動に走ったり、理性とか道徳を置き去りにして本能だけで走り回ったり…。
という、むこうみずな行動は一応の解決を得たのか、衝動的ではなくなった大学生。


高校の時に比べて、服装や時間や行動に大幅な自由が見込まれる大学生。
はたから見ていると、常にふらふらしていたり、バイトに精を出したまま帰ってこなかったりと、
今までの鬱憤を晴らすかのように、行動したおしているがため、
「大学生って、何も考えてなさそう」「気楽そう」と馬鹿にされてしまっていますが、
そんな彼らにも、自己嫌悪感はばっちりしっかりあるのです。

ただ、高校生までのような「ただ、ひたすら外側を」「人から見た自分の評価がすべて」のような、
行動や言動に表れるような自己嫌悪感の感じ方が、非常に低くなってしまっているので、
お気楽ごくらくに見えるだけなのです。
言い換えれば、「その程度の自己嫌悪感、もう飽きた」という感じです。

腐っても大学生、流石に成長が見込まれています。

けれども、人間は成長すればするほど自己嫌悪感がなくなるわけではなく、
自己嫌悪感も人間と一緒に進化してしまうのです。
しっかりばっちり、どこまでも着いていきます。

そんな寄生虫っぽい自己嫌悪感、
このころになると、更なる進化をしているのです。


  『人間は外見ではなく、中身である。
   そのため、人は目的をみつけ、それに向かって邁進しなくてはいけない。』



良いほうに捻じ曲がったのか、悪い方に捻じ曲がったのかまでは分かりませんが、
軍隊のような、妙にまっすぐ、かつ微妙に強固な考え方にとらわれてしまい、
その考えに沿う自分で無いと、自己嫌悪を感じる生き物。


それが、世の中でもっとも幸せそうに生きている大学生の実態なのです。



2、大学生の実態。(えせ心理用語で説明編)


それでも、中学高校までは「親」や「先生」というものが、
いざというときの「仮の目的」を作っていてくれました。

ところが、大学生にまでになってしまうと、大人は「もう大学生だからね」と
良く分からない納得をしてしまい、助け舟を出してくれようとはしてくれません。

高校生までの、「必死で孤独にならない」ために頑張ったのにもかかわらず、
大学生になってしばらくたつと、違う恐怖が乱入してきてしまうのです。


今までのように、「人と同じ」ようにしていても感じられる違和感。
まずもってクラスという概念がないので、常に同じグループではいられない事実。
やりたいことが分からないと、何を履修すればよいか分からないという実態。
単位をとらないと、卒業できないという世の中の常識。

高校を卒業して、ようやく自由になれたと感じた瞬間、
次の課題「すべてを自分自身で決め、それの責任を取る」という恐怖と、
それの克服作業が大学生を待っています。

たまにはゆっくりさせてくれ! と思うのも無理ありません。

「自分が決めないと、前にも後ろにも進めない。」「さりとて、いつまでも時間があるわけがない」
この2つが引き金となり、高校生まではあまり感じなかった、

自分を出せない、上手に話せない、人目を意識するなどの、自信の欠如。
人を傷つける、やろうとしたことができないなどの、自己コントロールの甘さ。
やりたいことが分からないなどの、自己理解の不足。

というものに、自己嫌悪感を生じてくるようになってしまうのです。


有り余るほどの自由の中で、自分というものを再度見つけ出そうとする過程の恐怖。

これが、大学生の自己嫌悪感の原因なのです。




4、大学生への対処

こんな「自由の中の自分」を見つけるという簡単な作業において、
恐怖を感じるなんておかしい。
そういうことをいわれる方も、けろりん、お話させていただいたことがあります。

確かに、専門学校生や専門職につく為の学校に行かれている方は、
大学生と比べても、「自分が何をしたいのか良く分からない」という事が殆どありません。

比べて、微妙に自己理解が不足している大学生。
妙に高いテンションを保ったまま、非生産的な行為に夢中になる理由として、
「とりあえず、何かしておけば自己嫌悪感に襲われない」というものがあります。

確かに一理ありますし、生産しなくてよいという喜びは結構はまるものですが、
迂闊に延々と終わらない作業に没頭したら最後、
自由で何でもできる貴重な時間を、ただそれだけに費やす時間にしてしまい、
あっという間に世間の規範とサヨナラする羽目になります。

割と自由ー。いろいろ自由ー。

と、大学生の特権を利用して、ふらふらするのも良いですが、
実際問題、ふらふらしたからといって恐怖がなくなるわけではありません。

とっとと、自己嫌悪を感じるのは何故か?その理由はなにか?ということに、
目を向けた方が身の為です。

なぜなら、大学生の自己嫌悪感というのは、
自分自身の嫌な部分を見てしまったほうが、逆に自己嫌悪感に襲われにくく、
また、自分のことが好きであればあるほど、
理想と現実とに差があればあるほど、自己嫌悪感に襲われやすいという、
結果が既に出てきてしまっているのです。

科学のせいで、逃げていればいいもんー。と、しらを切れなくなってしまったのです。

逃げられるうちは逃げてみてもかまいません。
けれども、いい加減育ってしまった大学生、どこまで逃げても逃げ切れない事実を、
頭のどこかで分かってしまっています。

結局、「親がこう育ててしまったんだ」「周囲の環境が悪いんだ」と屁理屈こねず、
何してもわりと大目に見てもらえる大学生の身分のうちに、
「自分自身というもの」「今後どうしたらよさそうか」「そのためには何をしたらよさそうか」
ぐらいは考えられるようになった方がよさそうです。

どんなに嫌がっても拒んでも、自分の人生です。
自分以外にあなたの人生動かせませんし、ほかの人の人生渡るわけにもいきません。

どうせなら、修正しても怒られないうちに軌道修正しておくのが、
一番おいしい大学生という身分の使い方な気がしてなりません。

そんなめんどくさい大学生の自己嫌悪感は、
「こうなりたい!」という理想と、
「でも、そうなれなかったのは○○のせいだ、僕のせいじゃない!」という
自己防衛との両方に関連があったりしますが、
理想といっても現実不可能な夢ではあまりなく、自己防衛といっても全部拒絶するような
激しいものでも、もう、なかったりします。

「あと、ちょっとしたらいろいろあきらめるから待ってね」というような、
甘えにも、完全にあきらめる前の未練にも、感じられるような自己嫌悪感なのです。

「あと少しだけ、待ってほしい」という他者に、そして自分に対する甘え。
この段階から見事脱出できた大人は、この感情を引きずっている人を見るとつい、
「ああ、理想の自分から現実の自分に移行しようと必死だなぁ」
「未練たっぷりでよいなぁ」と、
気恥ずかしくなってしまったり、まったりと見守ってしまったりするものらしいのです。

努力すれば何でもできると思っていた理想の子供から、
努力しても出来る/出来ないことがあると知ってしまった現実の大人へ。

未練を残しつつ、それでも、仕方ないと現実の自分を認める時間がある時期。
それが、大学在学という妙に小長い時間であり、
この時期の自己嫌悪感への一番の対策ではないのでしょうか。

多分。
     
第2夜へ。
第4夜へ。