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体や心がぐったりすると、ついお薬を飲んだり「目先の幸せ(仮)」を買い込んで難を逃れ、
でも、それをしつづけたり、それだけをしていたら、後でどっと副作用がでてしまうのかなぁ
・・・と考えてみました。
体がぐったりになるのは理由があっての事なのに、それを無理に無かった事にしようとして、
栄養剤やビタミンの類をタブレットで飲んで体をごまかしたり、
熱があるのに、やっぱり風邪薬や熱さましを飲んで無理やり動いたり…。
どうしても動かなくてはいけないというのは、やっぱり人生あるかもしれませんが、
それが毎日・毎回だとやっぱり副作用として、ある日ぐったりきてしまいます。
下手をすれば、ある日過労でいきなり入院コースまっしぐらです。
でも、それは心のぐったりも一緒で、「ぐったりする」事自体がすでに心の危険信号で
そろそろ逃亡の準備をしなさい・・・というサインなのかなぁっとかえるは思います。
理由がわかっているぐったりであるのなら、その理由を取り除こうと動く事が出来ますし、
どうしてもその原因を目の前から取り除けないのであれば、とりあえず誰かに愚痴り倒す
ということで難を逃れる事が可能です。
いざとなれば、お買い物をする・好きなことをするということで、
目の前のぐったりを見なかった事にだって出来ます。
でも、それはぐったり体への栄養剤にしかならなさそうです。
確かに、ぐったりしてもどうしても動かなくてはいけないという一時期においては、
その「栄養剤」はとても大事なものですし、なくてはあっという間に倒れてしまいます。
けれども、人生にあんまり倒れていると、そのうち周りにおいてけぼりを喰らい、
寂しくて仕方がなくなってしまいます。
それはちょっと困り者です。
が、人生に置いてけぼりを喰らうのが嫌だからと、栄養剤ばっかり飲んでがむしゃらに動いてばかりだと
やっぱりそのうち「それまでの人生の総決算」の時に心の体力が続かなくなってしまい
ぱったりと倒れてしまう事請け合いです。
全部やってしまうのではなく、8割で後は走って逃亡する。人様に押し付ける。
8割で全力で走っている事にする。
それを、自分自身で責めてしまわない。
けれども、「それまでの人生総決算」の時には、10割全部で走り倒す。
「その場限りの幸せ」という栄養剤をがっつんがっつん使ってみる。
キチンと乗り越えたら、自分は偉いんだとえばった後に、
栄養剤を使わない日常というのにちょっぴりつまらなさを感じながら
その日常に慣れる…。
そんな事をしなくては、後々本当に大変になっていくのだよなぁと。
「その場限りの幸せ」というものを中毒にしないように、生きていくのは大変だなぁと
テスト中に連打で投入した栄養剤の後遺症(ぐったり)に悶えながらの生活です。
げっちょり・・・。
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