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とりあえず、かえるも一個人として社会生活なんてしているので、
かえるの周りには、けっこうの人数のお知りあいやお友達や親友が居ます。
とりあえず、かえるにも信念と言えるかどうか分かりませんが、
「一度懐に入れてしまった人は信じつづける。」という事を目標として生きています。
例え、居なくなってしまっても、悪い人と呼ばれる人になってしまっても、
社会規範からはみ出た事をしていても、その人はかえるの「大事な人」には変わりが無いと
思っているからです。
うわべの言葉や態度だけで判断するのではなく、目の動き・揺らめき・反応までの時間。
普段の声の調子…そんなもので判断していき、それを踏まえた上で大事な人かを決める。
かえるの心の中の審査で合格し、相手の審査に合格して、少しずつ深くなっていく関係。
今までは、それであまり支障なく生活が出来ていたのですが、
最近もしかしたら駄目かなぁと思うようになったのです。
一つのモノゴトを見るのにも、ある人は正解といい、ある人は不正解と言う。
そして、もう一人は問題に値しないという。
モノゴトには色々な側面があってしかるべきである。という言葉は知っていても、
実際にこんな事が連続して起こってきてしまうと途方にくれてしまいます。
今までは大概の人の意見が同じような方向性だったのに、
真反対の意見でも、理由はとてもわかるものだったし、
第一、それは禁止ではなく停止という方向の意見だったのに。
と今までの事を省みて余計途方にくれるのです。
途方にくれて、くれつづける日々。
一度気になると、際限なく気になりつづけるかえるにとって、
こんな些細な事でも大問題になってしまいました。
が、もしかしたら「今まで」のかえるはその「他者同士の意見の摩擦」というものを
避けようとして、無意識に同じような考え方の人しか合格を出さなかったし、
他人の試験にチャレンジしなかったのでは?とふと考える機会がありました。
誰だって、自分と真反対の意見・自分の考え方が嫌いという人と積極的に仲良しさんに
なりたいとは思わないのではと思ったのです。
仲良し同士が仲良くするのはとっても簡単でラクチン。
でも、それではなかなか成長出来そうにありません。
時には真反対の意見を受け入れ、けれども自分の意見を通すときには通す。
それが出来る準備が出来たからこそ、かえると違う意見の持ち主同士を
かえるの胸の中に入れられたのかなぁと思ったのです。
が、これが意外と大変で。
「誰か」を信じるきるのではなくまずきちんと自分を信じ、それから他人の意見を見る
とうのは大変さんです。
お話すればするほど、難しいなぁと思う日々なのです。
変化を恐れて変化をしないのも大変ですが、変化しようと行動に移すのも大変です。
大変大変。
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