平成16年3月11日。
 
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ずっと片付ける事が出来ない仕事に「新しい考え」というものが入り、
ばたばたと駆け回った結果、ようやくめどがついてきたかえるです。
こんばんは。

ずいぶんと前、どこかでこんな意味あいを持つ言葉を見かけたことがあります。

「強い言葉はとても傷つく。しかし、その言葉の強さを知らなければ、
 人は強い言葉を使わないという術をおぼえないのだろうか。」

その言葉を見かけたとき、かえるの周囲の人は「強い言葉」というものに、
大層、くたびれ果てていた時でした。

強い言葉。
周囲を考えてから言うのではなく、その人の強い意志だけの言葉。
そして、他の誰を傷つけても良いという言葉。

強い言葉というものを言うときは、大概、その人は深い満足を覚えているはずです。
でなければ、そんな「相手の事」を忘れてしまうような、強い言葉というものは
口に出来ないのではとかえるは思うのです。


そんなことを、ふと思い出した今日。


最近、色々なかえる的事件がありました。
運が悪いと、ふと日帰りのつもりが、帰宅したのは数日後。
という、不思議生活をおくったりするぐらいの時間的余裕の無い事件です。

そんな、皆が妙に時間や心に時間が無い時に、誰かがふと口にした「強い言葉」。

最初は、何の違和感も感じず皆が口にし、
そして、ふと違う所から来た人が偶然それを耳にし、
「人がその言葉を言うなんて、信じられない」とまで言わせてしまった「強い言葉」

かえる達は、あんまり忙しかったり、時間の余裕が取れなかったり、
はたまた、「これに関しては我々がエキスパートだ」と思い込んでしまうと、
必要以上にそれを他者に対してひけらかしたり、
それに追随してもらえないと、全力をもってどうにかしようとしたり、
更には、相手のプライドや気持ちと言ったものを全く考慮に入れずに、
行動言動をしていしまう生き物なのかもしれません。

性善説や性悪説とはまた違う所にある、「人の奢りからくる強い言葉」。

「強い言葉」は、口にしている時は大層甘く柔らかく心くすぐる言葉です。
人なら、一度や二度はつい、口にしてしまうのかもしれません。

けれども、それを口にしてしまった後に来るのは、緩やかな「その場」からの撤退です。

人は、人無しでは生きていけませんし、
人は、人を貶したりしては、やっぱり最後まで心柔らかに毎日を生活する事は難しそうです。


そんな事をしみじみと感じていた、約1ヶ月間ぐらいのちょっと大変なお仕事。
本日をもって、ようやくちょっとめどがつきました。

そして、今回のかえる的お仕事をふと振り返って思った事。
「人は何処までも奢れるし、人は何処までも謙虚になれる」

どうせなら、最後まで人に見捨てられない仕事をしたいものです。
      
 
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