平成17年6月6日。
 
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時折物凄く定番過ぎる定番や、大きくなった今は読まないような話を読んでみたり、
ぼんやりと考えたりするのが好きなかえるです。
こんばんは。

犬の首の竜なのは、ネバーエンディングストーリーの映画の中だけ。
「果てしない物語」に出てくる「幸いの竜」は、ちゃんとした白い竜。

文庫本になると、表紙は普通の素材になってしまうけれど、
大きい本のままだと、表紙は絹で出来たそれは素敵な茜色のもの。

そんなことを、「幸せの竜は、最後まで幸せなことを考えていたので、そう呼ばれるようになりました」
という本の中の一文と、文中の飾り文字の美しさをふと思い出し、「果てしない物語」を、
読み直すことにしました。

月々にいくらと本用の予算を割けるようになってすぐ、買いに行った本なのですが、
それから数年読み直すことをせず、ひたすら本棚の隅に置かれていた「果てしない物語」。

読み始めた時は、「だいたい一晩ぐらいで読めるだろう」と気楽に読み始めたのですが、
期せずして、「青年期のようだなぁ」とじっくりと読むことになってしまいました。


何にも執着していないと思っていた主人公が、盗みを働くほど欲しいと思った本。
その本の世界で沸き起こる事件に解決策を与えられるのは、自分しかいないと思いつつも、
いざ、自分が呼ばれると、恐ろしさのあまり行動が出来なくなる主人公。

自分が出来ることをし、周囲から誉められてるとすぐに舞い上がり、
何故自分が呼ばれたのか? という事を忘れ、コンプレックスの糊塗塗りに走る。
代償を支払うという事実を、払いきれるぎりぎりのところで教えてもらい、
そもそも自分は何がしたいのか? という悩みと、「帰りたい」という思いに振り回される。


そんな、現実逃避と自己欺瞞と自己愛と増長と支払い猶予期間と責任回避と自己再発見という、
青年期に必要なこと全てが混じっている深いお話だなぁと思ってしまいました。

自分をちゃんと見つけ直すには、自分が無くなる、認識できなくなるという危機が無くては、
自分以外のものを見つけることが出来ないし、また、良いことばかりではなく、
悪い事象も同じように受け入れなくては、世界は成り立つことは出来ない。

最後には、本来主人公が支払うはずであった支払いの大部分を、
友達に託して帰っていてしまった主人公。

おかげで、当分の間はその負債を支払う必要が生じてしまうであろう主人公ですが、
「自己逃避」のスタートから、「自己確立」のエンディングまで、たった1日しか経っていないという
お話の時間というものは、人間、気づくことさえすればいつでも認識を新たにすることが出来る
という現実を示唆しているのでは? と思うことが出来る一冊でした。


児童文学として有名な、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」。
もし、自分が主人公だったらどんな行動がとれたのか? と考えて読むことが出来たなら、
考えることが沢山ありそうなお話です。


青年期の発達課題である「自己確立」、結構な歳になってもなかなか自分が見つかりにくいものなのです。

さがしさがし。
      
 
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