平成17年6月8日。
 
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今月になってからというもの、睡眠時間が普段の2/3まで減らしても
なかなか一日の仕事や雑用が終わらないという素敵状態に陥りました。
思わず、一定期間無敵状態かコピーロボットが欲しいと思ったかえるです。
こんばんは。

普段、さほど忙しい場所にいないと思っている上に、
一度座ったら滅多に立たない場所に座っているかえる。

そのおかげで、体力と根性が著しく減っていました。

が、そんなかえるを見かねたのか、神様(意訳)が、「毎日お使い☆」と
使いっぱしりのお仕事も与えてくれるようになりました。

色々な意味で干上がりそうになり、かえる以上に働いているお友達の、
「毎日色々限界いっぱい」という言葉がしみじみと身にしみる状況になってきました。

確かに、朝起きてから夜寝るぎりぎりまで動き続けた上に、報われなかったり、
仕事が増え続けていったり、かなり笑えない状況になっていくというのは、
本当に大変なことです。

自分で選択できることが減っていくだけで、人間これだけ余裕が無くなっていくのか?
と人としての脆さ、自分としての脆さを何度も何度も自覚しますし、
これをし続けるのは、本当に凄いし大変なことだと思います。

でも、もっとも怖いのは「朝から晩まで働き続ける」という事実ではなくて、
その行動によって精神的な余裕、人間的に成長していくものが削られ、
余裕が無くなっていくという現実だと思うのです。

一日何もやらないといけないことが無かったとしても、どんどんと病んでいく人もいますし、
毎日働きづめであっても、元気いっぱいな人もいます。

どんなことで精神が削られていくのか? というのは本当に人それぞれですが、
大部分の人は時間的余裕、選択的余裕が無くなっていくと精神の余裕も減っていきます。

ただ、忘れないでいて欲しいと、かえるは自分につぶやくのです。

その状態を選択し続けているのは、実は自分であるということに。

本当に嫌なら、大概のことは逃げ出せます。
「もっと嫌な、困ったことがある」から、その状況から逃げないで居続けている
という、無意識の選択が、自分をその場所においているだけなのです。

それを忘れて、「こんなにやり続けなければならない」と思うようになってしまうと、
人はそのうち、精神を削りとることで、その場所にいるという代価を支払う事になってしまわないか?

と、かえるは思うのです。

居続けているのは、自分か、周囲なのか。

あんまり周囲の為に居続けてしまうと、代価を支払うのは全部自分になってしまいます。
こういうことぐらい、もっと自分に我がままで良いとかえるは思うのです。


でも、やっぱり忙しいのはあんまり得意ではありません。
ごふごふり。
      
 
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