平成17年7月10日。
 
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人というのは、いろいろな見方があると知っていたとしても
自分が見ていてた景色をなかなか否定できないイキモノである。

というのを、時折苦く思い出すかえるです。
こんばんは。


唐突ですが、かえるには非常に苦手な人がいます。

生まれてからずっと関係がある人ですし、その方から嫌われたり罵倒された記憶は無いのですが、
何故かお会いする前は気分がぐんなりし、お会いした後はしょんぼりとするという、
素敵状況が物心ついたときから続いているのです。


年に数度しかお会いしませんし、生活上困ったことをされた記憶もないのですが、
とにかく苦手な、祖母の人。

立ち居振る舞いだけは厳しい人でしたが、それは実家でも同じことですし、
それは日常茶飯事いつものことなので、慣れを通り越して、
「覚えられないのはどうしてだろう…」と思うのですが、それでも何故か非常に苦手な祖母の人なのです。


どうしてだろう? と考えて成長期を終え、
分からないまま「いいか、支障ないし」と忘れて数年たった最近、
もしかしたら、これかもしれないという仮説を立てるまでに至りました。


原因は、祖母と母との「時代を超えてもやっぱり怖いよ嫁姑の戦い」でした。


田舎に行くたびに、「お茶碗洗って伏せておいても、二度洗うの」「洗濯も同じ」
と、結婚式の戦いから今日までの歴戦の結果を嫁側から逐一伝えられたかえるは一つの考えに至りました。


嫁姑戦争、子供にまで波及はやめて欲しい。
けど、抵抗すると、かえるもやられる。
それは怖い。


以後、田舎に行く度、電話がかかってくる度に発生する戦争経過を聞き流していたのですが、
やっぱり、ずーっと「あの人は怖い」という信号を送られ続けていれば、
かえるも「あの人は怖いから近寄らないようにしよう」という学習をしてしまいます。
まいて、情報源は実の母です。

そうやって、続けられれば続けられるほどに「怖い」と思ってしまう祖母。
でも、姑が弱って戦争が続けられなくなった今、母は姑に勝っていると思っているので、
怖いとも腹が立つともいいません。

けれども、かえるの「祖母怖い」は母親からの情報、いわば「裏づけのない感情」です。
何かがあったから腹が立つ立たないではなく、「あの人=怖い」という符号込みでの
学習なので、相手が弱ろうと何をしようと怖いと思い続けてしまうものなのでは?
と思ったのです。

そう思って世の中を見てみると、あまり知らない人同士の「あの人嫌い」と言い合う状況というのは、
第一印象と事前の「あの人はこうらしい」という情報からの「あの人=嫌い」という学習をしているからこそ、
延々と嫌い続けるという事ができるのでは? と思うのです。


腹が立ったとき、どうしようもなく苦手な人がいるとき。
そんな時に人様にうっ憤をぶちまけるのは非常に気が楽になる行為です。
でも、人様のマイナス印象を口にする時は、
将来、その人が悪口相手との関係性が悪くなることを予め織り込んでおいたほうが良いのでは?
とちょろりと思った今日でした。

お母様、なので出来たらあまり激しい悪口を言わないでいただけると幸いです。

ぽそり。
      
 
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