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同じ種別の生物ばかりと生きていると、うっかりと忘れてしまうことがある。
忘れることは容易いが、人としてはずいぶんとモラルが足りなくなってしまう、
その手の忘れ方だけは、あんまりしない方が良いのではと思うかえるです。
本当に。
長い、同じ思考の団体の中にいれば居るほど、染まってしまうのが思考の怖さ。
唐突ですが、かえるは人生の半分近くを心理学という思考形態で考える癖があります。
これは、長い間自分の意思で近い思考をもつ人たちと話しをし、
それに関わる学問をしているという事に起因します。
何か面白いこと、怖いことがあっても、「ああ、○○に近い行動だなぁ」とうっかり思い、
思うだけでは飽き足らず、態度ににじみ出てしまい、怒られることもしばしばです。
無意識で生活するにはとても便利なこの「特定団体に所属しているからの思考」。
ここまできてしまうと大概、その人の存在定義すらも特定団体に付属するのが
人間の怖さなのですが、それが自信=プライドにまで繋がっていくあたり、
人というものは非常に興味深いと思います。
と、妙に小固く書いてみたものの、
「長くやっている物に、人は存在定義や自信を見出すものである」という事なのですが、
この定義、一つ履き違えると非常に恐ろしい生物に変化してしまうことがあるのです。
ある程度やってきて、肩書きや名前が知られるようになったあたりに見出される、
「それを知らない人をうっかり見下してしまう」という行動。
同じ所で、同じ事ばかりやっていると、それを知らないという人に会う事は稀です。
そのため、うっかり「え?」という顔を取ってしまいがちなのですが、
それをやっても許されるのは、多分子どもの初期のうちだけ。
大人になってもうっかりやると、待っているのは自分の株の大暴落です。
自分の存在定義に関わる事を気にするのは、人間非常に正しい行動です。
けれども、他者の存在定義をも同一視できるのは、同じ界隈の人だけです。
それを忘れて、うっかり同一視をし、挙句見下す行動をとるというのは、
いくらその道で偉かろうとも、人としては大分退化を遂げてしまったとしか言えません。
うっかり「自分はこれができる」と思えるほどに、何かが出来るようになった時、
それを誇る気持ちと共に、「所詮それは自分の一部」だと言い切ることができないと、
そのうち、自株の大暴落が待ってます。
最近春が近づいております。
春の陽気と共に、うっかりプライド大暴走されることのなきよう、今一度。
…。
最近、機嫌が悪いと良く言われます。
おかしいなぁ。
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