平成25年5月26日。
 
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5月4週。

本が好きです。

「本ばっかり読んでいないで、勉強しなさい」と言われ続けても、
カーテンの裏で本を読み、布団の中で懐中電灯で本を読み続けた結果、
それは立派な眼鏡の人となり果てましたが、本が好きです。

思えば、小学校、中学校、高校、大学と全ての場所に図書館があったのも、
休みの度に出かけた親族の家にも本棚がわんさとあったのも、
素敵な機会でありました。

石造りの図書館も、丁稚さん待合室の隣に作られた急ごしらえの図書室も
すべて幸せな場所でした。
本棚だって、古ければ古いなりの香りと日差しの柔らかさや、新しい所の機能美と、
それぞれ素敵なものなのです。

端的に述べれば、本と本の周りにあるものが大体好きです。

一日どころか、何年だってひきこもる自信があります。
むしろ、引き離さないで欲しいものです。

しかし、こんなに愛を語っていても「何言っているか分からない本」と出会う時があります。

最初に出会ったのは、小学校の算数の時間です。
分数あたりの説明文の下りで「出来たら、もう少し知っている日本語で説明してほしい」と、
切実に思ったあたりからはじまりました。

しかし、こちらとしても「自称・本が好き」です。

文章にされている以上、書き手だって自分の意見を分かってもらおうとしているに違いありません。
もしかしたら、「想定されている読み手」の前提知識がある程度必要なのか? と、
入門をよみあさったり、専門家の扉をぶち破って聞いてみたり、説明されつつ怒られてみたり、
国語辞書を読み直してみたりもしました。

されど、さっぱり分かりません。
文章からは「ここから楽しい事書きますよ」という匂いはするのですが、
一度も見たことも食べたことも嗅いだこともないものなので、一体どこに配置すればよいのか分からない。

そんな感じの「さっぱり分からない」なのです。

「絶対美味しい話が書いてある」のに、「分からない」。
こうなると、悔しいやら切ないやら赤い実はじけてくれないやらと、
一度分かるまでは分からない。分かった以上は分からない理由が分からない。 
などという、パラドクス的な状況に陥るしかありません。

もう、脱出したいのに脱出のカギが見えない状態で気持ちが悪くてたまりません。
そうだ、専門家にもう一度聞いてみよう!

と、10年ほど前に聞きに行った本ですが、
本日ふと読み直してみたところ、さっぱりと意味が通った文になっておりました。

10年前と比べて、隣の建物のカーテン越しに世間話をされているのと違い、
講義を1番前で虎視眈々と聞いているかのような理解の深さです。
全部は流石に分かりませんが、分かる箇所が増えました。

すっごい、日本語が日本語になってる。すごい!何か分かるところがある!


何事も「分かる時期」というものがあります。
見たら分かるもの、やってみたら分かるもの、解剖してみたら分かるもの、
そして、分からないまま抱えて生きてみて、その経験からじわじわと分かっていくもの。

大人の「大人になったら分かります」は、
その瞬間のごまかしではなく、その人の「理解の閾値が上がるまでは分かりませんよ。」の
説明だったのだなぁと、しみじみと思い知りました。

ようやく宿題がちょっと終わった。
そんな気持ちになった本日夕暮れでございました。

まる!
      
 
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