
3月2週。
形式美とも申します。
敵から距離をとり、罠を設置し、敵をその位置まで誘導し、
タイミングを合わせては、ひたすら罠を発動し続ける。
延々と時間をつぎ込んではゲームをし、夢の中でも連携を考え、
考えに考えを重ねている最中、「これは何かに似ているのでは?」と気付きました。
目の前で次々とされていく、この展開。
つまりは人生にも似た部分があるのではないか?
思い返してみてよくよく経過をふりかえってみれば、
確かに、人生の縮図にも似た事が、画面内にて展開されておりました。
最初は、「初期=混乱の時期」です。
置かれている場所が一体どういう場所なのか、何が何だかよくわからない。
何だか情報過多なのだけど、はたして一体どうやって、何をどうすれば良いのか分からない。
とにかくもう緊張しているので、目や耳に飛び込んでくる情報の
どれを選択すればよいのか?がそもそも分からない。
文字どおりの右往左往です。
けれども、何度も何度も繰り返しているうちに、光が見えてきます。
これは大事な事らしい。
落ち着いて、一つ一つこなせば何とかなるらしい。
混乱の中で「ここは何とか出来そうだ」と、とにかくあたりをつけ、
それ基に行動を予測し、行動へうつしてみる。
行動が良ければ定着させ、結果が悪ければ再度考え直してみる。
そうやって、何度も何度もくりかえしていくうちに、自分のパターンが仕上がります。
こうなってくると、次は「中期=安定の時期」です。
相手に合わせてちょこちょこカスタマイズしつつも、メインは自分の得意技で勝負。
最適解を求めての微調整になります。
自分の立ち位置と相手の特徴を考えては、ひたすら小さな調整をし続ける。
小さな挑戦と小さな満足を求めて行動する、安定した時期になります。
ゲームなら、ようやく武器がそろって敵へ逆襲に行く時期です。
そして、最後は「末期=崩壊と再構築の時期」。
小さな挑戦と自分のパターンは、ある程度までは安定と安寧の幸せな時期ですが、
毎日が平坦であると感じると、人はやはり刺激が欲しくなります。
平和な毎日が、ある日突然、退屈の日々に変わってしまうのです。
これではいけない。
などと、心根を入れ換えて心機一転全く新しい「混乱の時期」に突入したくなりますが、
安定の生活は重要です。
そこで、自分のパターンを一度全くやめてしまい、
経験者でありながらも、「混乱の次期」にあえて立ち戻る時があります。
経験があるのにも関わらず、その経験の成果は使えない。
そんな時、人は大混乱に襲われ、絶望を経験し、そして最後には知恵を絞ります。
○がないなら△で、△もないなら×2つぐらいで、なんとかやってみよう。
壮大な遠回りを繰り広げ、今までの経験を生かしつつも新しい自分のパターンを発見する。
周囲から見たら、大変暇な人に見えるのが難点ですが、
この「みつけたぁぁぁ!」の快感は、そこら辺の比ではありません。
一度味わったら最後、今までの人生を丸ごと足払いをしたかのような爽快さに虜です。
たまりません。
ゲームを始めて、そして飽きるまでの一連の流れ。
これを本気で人生に適応しようとしたら、実感を感じるまでは何十年もかかります。
対象だって複雑ですし、ゲームの様に他の要素が入らないというわけでもありません。
予定外の強制割り込みイベントだって存在します。
しかし、人生のある側面、あるイベントだけに区切ったら、
「今、どこにいるか?」という目安としては使えるのではないか?と思う瞬間があるのです。
辛い事はイベントに。
イベントは出来るだけ楽しい面と出来る事だけ考える。
体力回復は何より大事!
人生ゲームではありませんが、客観的に自分をプレイしてみる。
これ、一度出来ると、なかなか便利なスタイルではないかと思いつつ、
今日もやっぱり罠をかけては暮らしております。
ばーん!
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