平成26年12月14日。
 
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12月2週

一人暮らしをする時に、避けては通れない問題があります。
ご飯です。

元気な時は「後で食べればいいや」「後でまとめて作っておこう」と、
つい軽んじがちな食事ですが、大体この甘さが命取りになるものです。

そもそも、毎日無事に食べられていたものが、食べられない。
もうこれこそが、体調が悪くなる前兆です。

そんな少しの前兆が、だんだんと雪だるまのように利子をつけ、
ある日表面化し、寝込む事となるのです。

しかし、かえるだって学習します。
食べられるうちは、食べとけばいいんです。
まずは口に突っ込む事、これは大切な事なのです。

かくして、体調が良い時は自炊した物を口に突っ込み、
体調が悪い時には、作りおきした物を口に突っ込めるよう、
日々のご飯の管理をすることになりました。

そんな生活の為に不可欠なのが、電子レンジ。
外食では生き延びられない胃弱には、布団の次に大切な物です。


唐突に「胃弱と生活と電子レンジ」について、力強く語りましたが、
それ程に大事な電子レンジが壊れました。
買い変えました。
生活が一変しました。

まずあれです。
焼けます。

今までは魚焼きグリルで一々焼いていた魚やお肉が、ボタン一つで調理可能。
お魚がふっくらジューシーで皮がぱりぱりでたまりません。
大変びっくりいたしました。

それだけではありません。
茶碗蒸しだって、ボタン一つで作れます。
小さな茶碗蒸しから、大きな茶わん蒸しまで自由自在です。
手品かと思いました。

更にです。
クッキーを焼けば綺麗に焼き上がり、パウンドケーキは焼き色が格段に良くなり
ました。
感動です。

もはや、電子レンジは「生きていく」為だけにあるのではありません。
生活を豊かに、美味しいものを毎日作ってじっくりと味わうためにあるのです。
ありがとう電子レンジ。ありがとう技術職人。

技術というものは、日進月歩であるとは知っておりましたが、
身を持っての体験というのは久しぶりです。
感動と共に毎日毎日電子レンジと共に蜜月を過ごし、たらふく美味しい思いをし
ておりましたが、
やはり、「便利」というものは裏面もあるものです。



それは昨日の事でした。
電子レンジが無いおばあちゃま宅にて、お夕飯の支度を始めたその瞬間です。

手が、動作を忘れておりました。

人間、記憶という概念においては「手続き記憶」というものが存在します。
自転車に乗る方法、車を運転する方法といったように、体が覚えている作業の物
事のあれやこれやで、
毎日毎日作る、出汁のひき具合やお味噌の量、火加減なんぞもここに入ります。

もはや意識というよりも、無意識で作る夕食作成。
自分のお台所ではないという事実、調味料の場所を探しながら作るという現実を
加味しても、
余りにも忘れるにも程があるのでは?というこの驚愕。

あの夕飯は今でも忘れません。
もはやキャンプ場にて、薪を割りつつ火をつけては執り行う飯盒すいさんの様な
阿鼻叫喚。
時間と労力の割には、どう見ても貧相なあの夕飯。


人間、必要な事は右往左往しながら覚えます。
しかし、怠ける事はもっと大好きです。


おばあちゃま宅にも、新しい電子レンジを買うかどうか。
焦げた魚の皮の味を忘れる前に、これだけは答えを出す必要がありそうです。



どうしよう。
      
 
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