平成27年2月8日。
 
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2月2週

罠が好きです。
ついひきつけられる魅惑的な罠や、
ダメだと分かっていても、それでも行かざるを得ない退路を断った罠。

それぞれ、魅力があるものです。

罠に掛けられるのも好きです。
いたぶられると分かっていても、ふらふらと行ってしまう魅惑的提案の罠や、
それ以外に道がないと退路を断たれたあとの、唯一の道としての罠。

どちらも酷い目に会う事は確実ですが、
それぞれに趣があるのです。


などと、現実で発言すれば「罠マニア」か「危ない人」として、
心的距離を取られてしまいますが、ゲームであれば問題ありません。

「新しいゲームでね、」とゲームが大好きな一個人としてきゃあきゃあと、
罠の奥深さについて語る事が可能なのです。

罠の形状についてはあまり興味はありません。

罠を仕掛ける本人の特性。
罠にかけられる相手の癖。
そして、罠をかける環境。


これを上手に組み合わせ、自分の得意の形に形作り、
相手をその形に誘導、問答無用ではめていくというあの思考のパズル。

ゲーム時間そのものよりも、事前検討時と事後検討時の気持ちよさは、
格別です。


ときどき、現実でも応用できないかとも考えますが、
現実世界においては、考えなくてはいけない因子数と偶然性が多すぎて、
あんまり嗜好性が高くないあたりが考え物です。


と、『新作の罠』をプレイしては、うっとりしていたのですが、
ここに来て地味に行き詰ってしまいました。

今までの罠は「部屋」を行き来して、自分の得意な陣形に誘い込む事が出来たの
ですが、
新しい罠は、「部屋」の中だけで陣形を構築しなくてはならないという、
思考の転換も求められています。


既存ゲームをやりこんでいればいるほどに、
そして、自分のゲーム形式が決まっていればいるほどに、
思考の変更というのは、大変な努力を要するものなのです。


リズムを崩すか、パターンを崩すか、はたまた一から全部作り替えるか。
考えれば考えるほどに、行き詰っていく思考総当たり戦。


たかがゲームでありますが、されどゲームであります。
思考のずれは日常生活に影響を与え、動揺した日常はあちこちに影響を与えます。


もはや、ゲームでゆれっゆれなのか、日常がゆれっゆれなのか
分からないほどの大混乱。


こうなったらもう自棄です。
かえるの平穏無事な人生の為に、ひいてはまったりなゲーム生活の為に、
生活の余力の全てを傾けて、どうにか新しい罠思考を考えつかなくてはなりません。


でないと、罠の事を考えながら食事をしてお味噌汁をこぼし、
罠のタイミングを考えながら書類を数えて枚数を水増しするという、
この恐ろしい罠からは抜け出られないのです。


ピンチです。
でも、好きなんです!




ドツボです!
      
 
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