9月23日


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ケロリンを書いていると一番怖いのが、専門家・身内の突込みです。
という事で、今回は出来るだけ身内の方に先に意見等を聞いておき、
「えー、そんな事を考えていたの?」という意見を回避する方向で文章を書いてみました。
責任の分散と言う奴です。

ちなみに、昨日の専門書は誰の? という切羽詰ったお手紙も戴きましたが、
それも最終日にまとめてUPの予定なので、待っていただけると幸いです。
かえるとケロリンの差と言うものを出そうと、今、舞台裏も必死なので。

という事で、昨日戴いたお手紙に適当に返事を書いた辺りで、第2夜です。
昨日適当に「若い人は、どうやら自分が嫌いな人が多いらしい」という事を書いてみましたが、
では、「何故嫌いなのか?」「嫌いを解消する方法は?」「インターネットって嫌いの解消に役立つ?」
という事を、喋ってみたいと思います。
     
 
   
   
   
   
   
という事で、昨日は適当にしか書かなかった「若い人は何故自分を嫌うのか?」という事ですが、
別に、若い人全員が自分を嫌いであると言うわけでは有りません。
「皆、自分が嫌い」だとするのであれば、とっても嫌な社会になるのがせいぜいです。
まぁ、現在の世の中がとっても良いとも言い切れませんが。

と、世の中を憂いていても何の解決にもなりませんが、まぁ、雑誌・テレビ等で
色々な情報を見ていると、「自分の事を大好きになる方法」とか「頑張らない」とか、
果ては、「自分の事を抱きしめてあげる」という、自己受容(自分は頑張らなくても自分である)
という事を盛んにPRしている辺り、やっぱり自分の事が嫌いな人というのは沢山いそうです。

…世の中なんて、「自分が取り残されないように」という不安を煽りたてることで、
物流を促している気もしますので、本来、「自分の事を大して嫌いではない」人であっても、
幼い頃からひたすら「貴方は足りないの! ! 」と煽っていれば、
そのうち「○○が足りないから自分はダメ」とか言い出しそうです。
…○○が足りたら、次は××が足りないと大騒ぎしそうですが。

そんな、「世の中が世の中を不安に叩き込む」と言うものがあるシステム。
「選択の自由がある」と言いつつ、結局は選択の自由などあんまりない世の中。
「もっと、もっと」と向上心あふれると言えば聞こえがいいが、
結局のところ更なる犠牲を必要とする言葉。

そんなものが、平然とあった場合、ちょっと聡い人であるならば、不安に落ちる事請け合いです。
だって、「終わりが無く、永遠に続く、もっと○○を」という事だからです。

例を上げるのであれば、学生さん。
授業は完璧、連れて歩ける彼女(彼氏)とは趣味も合い、仲がよく、就職先は既に一流どころに内定済み、
性格も良好、皆からの信頼も厚く、家事等も得意、何をさせても平均以上。

社会人で例を上げるなら、
遅刻早退はせず、進んで完璧に仕事をし、上司同僚部下からも受けが良い。
お酒も失敗せず、服装の趣味もよく、どんな話にもついてくる。
家に帰ると、家事・育児等もし、料理も得意。優しく愚痴も聞いてくれる。

という人間が居たら、ケロリンは確実に「うわ、性格異常か強迫の人か他人の為に生きている人だ」とぐらいは呟きます。
だって、ある意味無理だからです。

勉強をさせて、完璧というのがあるのはせいぜい高校までです。
大学に入ったのであれば、「今までの覚える・知る必要のある知識」の上に、「自分の意見」というものを
ひたすら考えたりしなくてはいけませんし、意見というものは他人と違う必要があったりします。
どう足掻いても、自分の意見を突き通す限り、他者と仲が悪くなったりする可能性も出てきますし、
「これ以上書くことが出来ない」という完璧はありますが、「もう書く必要が無い」という完璧はありません。
稀代の数学の式でも見つけない限り。

社会人とて同じです。
体調を損ねない人は居ませんし、仕事をしすぎると今度は生活が破綻しやすくなるのが人の常です。
あんまり他者にいい顔しつづけていると、全力でストレスたまりますし。
他者の愚痴ばっかり聞いていたりしたら、どこかで発散する必要があります。

人間、生きて経験した以上の事は出来ないのです。

という事で、ケロリン、そんな「完璧」な人のCMを見たり聞いたり「理想なの! ! 」と言われたりすると、
「わー、この人、人間辞める気だ…」とそら寒い気持ちになるのです。

出来ない事を「出来る」と思い込み、努力を続け、その結果「自分は出来ないのだ」と思い込み、
凹んでしまったり、出来ない自分は嫌いと思ったり、そんな自分に用はないのだと、
自分で自分を切り捨ててしまう。

そして、自分の事が大嫌いな人が出来ていく。


ケロリン、ここ数年そんなのばっかり目にしますし、こんなんになってしまった人は、
大概において「自分が嫌いだから、どうにかしたい。」と足掻いてみたり、
足掻くの疲れた場合には、「道づれを作ってやる」と全力で他者に絡んだりしてみたりします。


とっても迷惑です。

自分の人生を自分で歩けないのに、必死に歩いている他者に頼って「自分を必要として」とすがりついたり、
仕方が無いからと一緒に歩こうか? と提案する人に「欲しいのはこれじゃない」と自棄を起こして
傷つけたりするのは、大層幼い人がする事です。
まず、自分の足で立ってください。

第一、「自分で自分が認められない人」が、他者に認められたとしても、
「嫌いな自分を認める人は嫌い」と認めた人を攻撃したり、馬鹿にしたりするだけです。
かなり非生産的な行動だとしか、ケロリン、言いようがありません。


という事で、ケロリンは「自分を嫌いにならなくて済む方法」というのは、
「自分をまず、きちんと見る」事だと思います。

自分は何をしたいのか?
その為には何が必要なのか?
そして、自分には何が足りないのか?

そういったことを、「理想の自分」と違うと見ないふりをするよりも、
まずきちんと見る。

そういう事が、「自分を嫌いならなくて済む。嫌いでなくなる。」という一番の方法ではないのでしょうか?


まぁ、「理想の自分」に固執している限り自分が嫌いというのは永遠になくなったりしないと
ケロリンは思います。


と、紙面が尽きてしまったので、続きはまた3夜。
一晩待ってくださると幸いです。
     
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