9月15日
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○
なんか、続いてしまいました。
     
 
   
   
   
   
   
して、拒食症・過食症とは一体何?といわれますと、
「食べる事にやたらめったらこだわりを持ちすぎで、瞬間的に食べ過ぎてしまったり、
食べられなかったりする事(心・体調含む)、もしくは、そんな症状。」という事です。
何のひねりもありません。

真面目に言えば、「摂食障害(食べる事にまつわる障害(症状)」というものですが、
やっぱりコレにも色々な種類があります。
さらりと挙げても、食べ物以外のものを食べる「異食」や、胃の中に入れたものを吐き出してしまう
「反すう」というものもありますが・・・説明したくありません。
・・・全部説明すると、それこそ「摂食障害」という本が何冊も出ます。

更には、心理屋さんの悪い癖で、同じ症状が出るものであっても、
○○症・○○病・○○障害・と、最後につく単語によって
深刻具合を分けているので、、迂闊にモノも言えません。
「○○障害」なんて迂闊に語った場合、全部の傾向・症状を言わなくてはいけなくなります。
・・・心理の授業でないので、そんなことはしたくありません。

というわけで、ケロリン考えました。

「そんな傾向が認められる。」という、○○傾向というモノだけに絞って喋ってみたら
言いたい放題いったとしても、「だって、そんな「傾向」だし」とと逃げ切れそうです。
・・・多分。

では、「摂食障害の傾向」とは何か?といいますと、

1、外見にやたらめったら歪んだ認識があるがゆえに、
2、どうにかして、外見を痩せようと努力を重ねる。
3、その努力の方向が運動ではなく、「食べ物」の量を調節する方へ向かい、
4、向かいすぎた為に、ある一定から「○○になりたい」から「○○でないといけない」と
5、脅迫(強迫)観念にとらわれてしまった状態。

と考えていただければ幸いです。

流石にケロリン、これを茶化して言うほど偉くないので、
ワリと教科書からそのままの抜粋です。手抜きといわないで下さい。


で、なんでこんな「食べ物」に関わる障害(傾向)が、
青年期の挫折から発生する障害の1つになっているのかと言いますと、
それは、「食べ物」というものと「親(大概、母親)」というものが、強く関係しているからです。
・・・母親と注意書きしてあるのは、単に生まれてきてから接している時間が長いからです。
「女」だから何か影響を与えら得るわけではないので、あしからず。

ヒトは、基本的に「食べ物」を親(育て主)から貰います。
母乳に始まり、離乳食、普通の食事。
それは「食事」でありと同時に「親からの愛情」=「生きる糧」ではないでしょうか?

高校生、大学生になり、「食べ物」は「自分で得ている・選択している」と言い張られたとしても、
生まれてからずっと親からの愛情・食べ物は受けつづけているわけです。
その事実がある限り、そう簡単には、親からの「生きる糧」は絶てません。
一生、影響があるとケロリンは思います。


繰り返して嫌になる程言っていますが、
青年期とは、「自分とは何か?」という事を強く考えるという事です。
という事は、この時期「貴方はこういう子」という親の願いというモノ(愛情や食べ物)
を拒否するという事から始まると考える事は出来ないでしょうか?

なぜなら、青年期とは「挫折と同時に拒否の時期」だと、
また、「精神的な巣立ちの時期」だとケロリンは勝手に思っているからです。

青年期の時期に、「親・周囲」の期待だけで育っていたら、「確固たる自分」というものは生まれないし、
「自分」というものと「周囲の期待する自分」に差があった場合、
「親(周囲)の期待」を拒否しなくては、「自分」というモノが成立しない。
と考える事が可能だからです。

ヒトは、永遠に死ぬまで「親」が与えたものは食べられないし、
食べたくないと思っていると仮定しています。「選択の権利」は誰でも欲しいモノです。
けれども、「永遠」に与えられる「食事」というものはとても魅力的です。
「食べている事が出来、」そして、「それは一生続けられる」
というのは、生存可能と同時に、「永遠に見守られている」と心の中で解釈する事が可能だからです。

だからこそ、青年期の「自己」を探している最中に、
親から与えられている「食べ物(愛情)」というものを拒否したり、欲しがったり、
まだまだ与えて欲しいものが「愛情」だという事に気がつきたくないがために、
「愛情」を「食べ物」と欲しいものを心の中ですり替え、過度に欲しがってみたり、
逆に、拒否することによって、親から関心を向けてもらい、自分から欲しいと言わずに
「愛情」を親から引き出したりという事をするのではないでしょうか?

でも、自分には摂食障害の傾向がないからといって「愛情」が欲しくは無いのだと早合点はしないで下さい。
摂食障害というのは、「それ」がたまたま「食べ物」というものに象徴されていただけだとも考えられますし、
ヒトによっては、母親の近くにいること・自分には全く愛情がもらえないと暴力で訴えたりと
色々なパターンがあります。

なので、「食べられないなら、食べられるようになればよい」という簡潔な決着では
本当の意味での「食べ物」からの脱却は出来ませんし、
同じように、「近くにいなくても平気に要られるように」とか「暴力沙汰が無くなれば良い子」
という問題では済まないのです。


それは、「欲しかったもの」、けど「貰えなかった・まだ足りない」と思い込んでいるモノが、
「挫折の時期」にそれを急激に欲しがってしまっているだけだと思うのです。

そして、「それ」を得る方法がわからず、「別のものに象徴して」それを欲しがろうとし、
満足するまで得て、そうしてからまた成長しようと必死になっているのだと、ケロリンは考えます。

「青年期」とは、そんな「今まで欲しかったもの・得られなかったもの」というものが
一気につけが回っている時期。
と考えると、今そんな症状・傾向で悩んでいる方は、ちょっと楽にならないでしょうか?


今時点での、「自分自身」ってなんだか分かりますか?
そして、悩んでいる方は一体「何で」悩んでいるか、状況の説明ではなく
きちんと理解できていますか?

そんな感じな「青年期」と「挫折による症状」。
治すよりは、まず立ち向かうのも一興かと。
     
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