9月16日


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○
そろそろ長い文章を書くのにも疲れてきましたケロリンです。
なんだかんだといいつつも、そろそろ絵日記1週間分以上喋っていますので、
気力はとうの昔に尽きてます。
段々適当になっていきそうな事、この上ありません・・・。

て、ケロリン、今日から出張(学会)ですか・・・!!
あと数時間で出発ですか!!?
色んな意味でいきなり切羽詰ってるケロリンですが、最後まで突っ走ってみようと思います。

青年期の挫折というのは、挫折と同時に、
「今まで足りなかった何か」を得なおす時期ではないか?というのは、
昨日ひたすら長く言い過ぎた第2夜(下)でちょろちょろと喋った記憶があるのですが、

「では、何で得られなかったのか?」という質問をさらにうけました。
これを見た瞬間、何となく、原因追求をし、「自分にはそれがあるから大丈夫」と思いたいのかなぁ
とうがった考えをしてしまったケロリンですが、何となくこの質問に答える形で
ケロリン企画を終わらせるのも面白そうです。

というわけで、「何故、そのような傾向がでてしまうのか?」というのを
第3夜である今夜、喋ってみたいと思います。
     
 
   
   
   
   
   
症状が出やすいのヒト(特に摂食障害の症状が出やすい人)というのは、
1、従順であり、内気である
2、完璧主義であり、ものにこだわりを持ちやすく、強迫的になりやすい
3、気が弱いが、負けず嫌いである
と同時に、
4、ずっと良い子であった。
という事がいえます。(拒食と過食ー心の問題へのアプローチ より引用)

この1〜3までは、性格なので別になんとも言いがたいのですが、
4の「良い子であり、良い子であった」というものがある意味曲者だという事を、
そろそろ理解していただけたでしょうか?

「良い子」とは、ひたすら繰り返しているように、
「親・周囲の期待」を先取りして、自分自身がそうなるように努力している子どもの事です。

親から見れば、「良い子で手間がかからない」というのはとても楽チンかつ、良い事ですが、
「子どもが本当は何をかんがえているか分からない」という事にもつながります。

果たして子どもは「良い子」なのか、それとも「良い子」であろうと振る舞い続けているのか?
それを見誤ってしまった場合、
子どもは、もっと「見てもらいたかった」=「愛情をかけて欲しかった」と思うように
なるのでは?とケロリンは思います。

兄弟が生まれたりすると、お兄ちゃんが、お母さんたちの関心を引きたがった挙句、
子どもみたいな振る舞いをするのにも、この心理が関係しているのです。
愛情が欲しいという欲求に素直に従うあたり、青年期よりよっぽど素直で可愛いです。

・・・ケロリン、両親が居ませんのでいまいちこの心理が分かりませんが。


また、こんな事を言うと「大概、こころの病気は母親が悪いのでは?」
といわれる方がいらっしゃいますが、それを言うのであれば、
「何故、父親や周囲は仕事だから親のする事だからと、責任だけを追及するのですか?」
とケロリン、真顔で返したくなります。

適当にサボっておいて、責任だけを追及するのはどう考えてもお門違いです。

確かに、母親というのは子どもに多大な影響を与えますが、
それは一番近くにいる「愛情を注いでくれる存在」だからであり、
女だからとか、母親だからというわけではありません。
勘違いした上にしたり顔で「母親が悪い」と言うと、心理屋さんに馬鹿にされます。
少なくとも、ケロリンは笑顔で馬鹿にします。

第一、どんな親であっても親は親です。
表面上はどんなに嫌いであっても、子どもは「親に認められたい」という欲求を持っていますし、
持っている限り、他人が「親のせいだから」と言ったとしても子どもが傷つくだけです。
そんな愉快な事はしない方が得策です。

ついでに言ってしまうのであれば、その「責任」というものを他人に押し付けておいて
「自分は大丈夫・責任無いの」と逃げているだけに過ぎません。

自分の責任や罪悪感まで他人に押し付けて、楽チンに生きるのを見るのは、
ケロリン、何となく嫌な気持ちです。

という事で、得られなかったのは別に「誰か」の責任ではないし、、
あえて言うなら今まで生活してきた中で、それを「得た」という実感を得られなかった
本人の気持ちの問題という事になるのです。

植物に例えれば、栄養不足の植物が、その足りないモノ(太陽なのか、水なのか、栄養なのか)と
その植物が病気になりやすいものに応じて、葉っぱが白くなったり、枯れちゃったり
花咲かなかったりするのと一緒なのです。

ということを考えると、一般的に考えられている「症状」(何となく悪そう)と
現実の症状というものは大分イメージが変わるのではないでしょうか?

なぜなら「症状」とは、「今まで生きてきた中で獲得できなかったモノ」が
「そのヒトの持っている素質」から発生しやすい「症状」を得て、姿をあらわしているに過ぎず、
それは「生きていく上での警告」と同時に、
「少しこれについて考えてみれば」というサインに過ぎないからです。

サインに悪印象をもっていたら、サイン内容にまで目は配れません。

確かに、植物に水をやっても吸い込まなければ、枯れてしまうのと一緒のように、
「ご飯が食べられない」だけではなく、それから来る「体力の減少」「栄養失調」というものは、
社会的に生きていく為には、マイナスなものとして取らえざるを得ないかもしれません。

けれども、「マイナスなだけだから」と目をつぶって生きていくわけには行きません。
流石に直接的な栄養というものが無くても生きてはいけますが、
「食べ物」は食べなくては死んでしまいますし、
第一、目をつぶりつづけていても原因がなくならない限りそのままです。

問題は、植物は栄養が足りないと、そのうち枯れてしまいますが、
ヒトは、栄養が無くても死んでしまうことはありません。

ただ、「その栄養が欲しい」と心の奥底で渇望し、思いつづけるだけです。
そして、思えば思うほど、その要求が強ければ強いほど、
その気持ちは、身体に「症状」としてでてしまうのでは?とケロリンは考えます。

それこそが、そのヒトの心が渇望している「サイン」なのではないでしょうか?
そして、そのサインが強く出る時期が「青年期」となるのではないでしょうか?

また、ヒトは一人で生きていく事は出来ません。
自分の中に足りないものを「誰か」に求めるという事で「サイン」を、
・・・これはケロリンの勝手な想像ですが、
そして、「サイン」を出すという事で、もしかしたら「足りない栄養」というものを
少しずつでも取得しているのかもしれません。

なぜなら、気がつかなかったら「症状」すらも「症状」として認められないからです。

だからこそ、本人が気がつかないから、気がつきたくないから・・・
でも、「この状態」は辛いから、誰かに助けて欲しい、気がついて欲しい。
という本人にも気がつかない気持ちというものが「サイン」を出しているのかも・・・
とケロリンは考えたいからです。

ヒトは一人で生きているわけではありません。
長い人生、たまには頼ってもよいと思います。

「なんだか良く分からないけど辛い、けど、頼ったら負けだ。」
と思われている方、思っていそうな方を知っている方、
まず、「自分には、そのヒトには、「何か」の栄養が足りないのだ」と
考えることからはじめては如何でしょうか。

嫌な言い方ですが、自分を見つけない事こそが、
その症状を長引かせている第一原因だとケロリンは思います。

で、最後にやっぱりお聞きます。
「貴方は一体なんですか?」


3夜におよぶ、「青年期の課題ー挫折と症状と精神的巣立ち」のお話
ご清聴ありがとうございました(ぺこり



実は、この3日間、色々参考文献があるのです。
というわけで、参考文献を。

摂食行動の参考文献。
大平 健  「拒食の喜び、媚態の憂うつ」21世紀問題群ブックス14 岩波書店 1996
大平 健  「診療室にきた赤ずきん」                早川書房 1994
山登 敬之 「拒食症と過食症ー困惑するアリスたち」         講談社  1998
青木 紀久代「拒食と過食ー心の問題へのアプローチ」         サイエンス社 1996

青年期の参考文献
たたら幹八郎・山下格 編 「アイデンティティ」           日本評論社  1999
鈴木康平・松田せい  編 「現代青年心理学」            有斐閣    1987
徳田安俊         「青年心理学入門」            川島書店   1982
R.J.ハヴィガ−スト 荘司 雅子訳 「人間の発達課題と教育」     玉川大学出版部 1995

その他。
和田 秀樹 「<自己愛>と<依存>の精神分析」−コフート心理学入門 PHP新書 2002
和田 秀樹 「<自己愛>の構造」−「他者」を失った若者たち     講談社選書メチエ 1999

土居 健郎 「「甘え」の構造」                   弘文堂      1981
土居 健郎 「続「甘え」の構造」                  弘文堂      2001
     
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