9月9日


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初めての方ははじめまして。
そうでない方は、1年ぶりです。こんばんは。
「かえる」の中身こと、けろりんです。

25万ヒットはとっくに過ぎているのに今まで出てこなかったのには理由があります。
理由:かえるが忘れてた。

そして、やっぱりこんな時期に出てきたのにも理由があるのです。
理由:けろりんまだ?ってメールが来た。

今回は、ただでさえ反応が少ないけろりんの中にあって、メールをくれるという
コアな方々に向けて、重箱の隅をつつき倒して穴があくぐらいみみっちぃ事を、
語ってみたいと思っていろいろ考えた結果、こんなのを思いつきました。

今回のテーマは、「進化する自己嫌悪感」についてです。

いい加減、このテーマから離れようと思っている「自己嫌悪感」ですが、
今回は、この自己嫌悪感そのものではなく、
「この時期の自己嫌悪感」はどんな自己嫌悪なのか?という事を語ってみたいと思います。

理由は簡単です。
小学生、中学生、高校生、大学生が感じる自己嫌悪感というものは、
完全に違う生き物といっても過言ではないほど別物だからなのです。

同じ「水着」でも、スクール水着とビキニぐらい違うもの。と思ってくださると幸いです。

そんな「水着ふぇち」でもない限り、盛り上がらないに違いない、
みみっちぃ話の「自己嫌悪感の違い」。

青年期の、更にマニアックな部分ですが、適当に流し読みしていただけると、
子供の時のことや、最近の自分のことがわかって便利ではないかと思います。
     
 
   
   
   
   
   
1.自己嫌悪の発生。

自分が嫌で仕方がない。
自分という存在なんて居なければよかったんだ。

そういう気持ちにさいなまれる時、同時にこんな気持ちになったことはないでしょうか?

「昔は、そんなことなど感じなかったのに」
「昔はよかったなぁ」

この、時折思い出される「昔」。
自分のことを嫌いと思わずに、毎日がおおむね楽しくて仕方がなかった「昔」。

実は、その昔というのはだいたい小学生までだと、
青年心理学の世界では言われています。

早めにふけちゃった人は小学校高学年、遅くても中学生ぐらいになってしまうと、
嫌でも、「自己」ってなんだろう?と思ってしまうらしいのです。

たとえばテストの点で、ちょっとした友達との差で、
じんわりと出てくる「他人との差」としての自己。
これが「自己嫌悪感」の元になってしまうものなのです。


では、テストをなくせば良い。
全員同じ位置だということを知らせておけば、自己嫌悪というものはなくなるのでは?

と、過去、一部の大人は表面だけみた対応をやらかしてしまいましたが、
そんな程度で自己嫌悪がなくなるのであれば、世の中とっくに「しあわせさん」で
あふれかえっています。

本気で「自己嫌悪感を取り除きたい」と思うのであれば、
顔から身長、体形、声、思考、行動、そんなものまで綺麗きっちりと同じにすべきです。
ちょっと人間という種の危機を迎えたりしますが、そこまでやるのであれば
「自己嫌悪」というものはなくなるかもしれません。

まぁ、そこまで技術が発達すると、それは見事なロボットが出来上がるだけなので、
偉い人たちは、「世の中皆平等である」という幻想を子供に振りまくのは
そろそろやめたほうが良いと思うのです。

なんだか、偉い話の飛びようですが、
ようするに、「自分と他者の小さな違いから、自己嫌悪というのは生まれてくる。」
と思っていただけると幸いです。


2.中学生の自己嫌悪

自分と他者がいまいち良くわからなかった小学生から、なんとなく決別した中学生。
制服さえ脱いでしまえば違いなんて一部の男子生徒ぐらいしかわからない年齢ですが、
このぐらいの子供の自己嫌悪というものは、末おそろしいものがあります。

クラスで友達に無視された。
授業中、つい先生を「お母さん」と呼んでしまった。
友達が違う友達と教室移動した。

今考えるとどう考えたって、
無視された。→ああ、忙しいんだ。 聞こえなかったのかな? 虫の居所悪い?
お母さんと呼んだ。 → 条件反射っておそろしい。 よし、ここでウケをとりに行くか。
違う友達と教室移動。 → あ、行っちゃった。 じゃぁ、違う友達と行こう。
程度で済んでしまうこれらのこと。

にもかかわらず、これらの事に対して全力で落ち込んでしまうのが中学生です。

無視された。→ 私、あの子に嫌われたんだ。 どうしよう。 明日から学校に行けない。
お母さんと呼んだ。 → 笑われているー。 どうしようー。
違う友達と教室移動。 → もう、私とは友達じゃないんだ。 もう嫌いだ。

好き、嫌い、絶対、永遠に。
これらの言葉が一瞬で覆される上に、
ちょっとした事柄で半期分のドラマさえ作れてしまうぐらいの
感情の変化があるのが中学生です。
おかげで自己嫌悪を感じることには事欠きません。
おまけに第二次成長期を迎える時期です。
体形が変わることに自己嫌悪を抱き、異性に関心を抱くことに自己嫌悪を抱き、
何か小さなことで自己嫌悪を抱き、ご飯がパンじゃないぐらいで自己嫌悪を抱き、
同性の親が大柄なぐらいで自己嫌悪感を立派に感じてくれます。

側から見ていると、「どれなら感じないの?」と真顔で思ってしまうぐらいです。

何でもかんでも自己嫌悪を抱き、その上その感じる度合いが全自己嫌悪野中でも最も高い。
という、嫌なことこの上ない時期。

それが、中学生の時の自己嫌悪感なのです。


3.中学生の実態。(心理用語で説明編)

中学生の自己嫌悪というのは、「自分は嫌悪される対象である」と思い込んでいる
というのが最大の特徴であると、けろりんの大好きな先生が言っていました。

ようするに、自己嫌悪を感じる場面に直面すると、
「自分はなんて惨めなんだろう、悪い子なんだろう」と思う気持ちでいっぱいいっぱいになってしまい、
「じゃぁ、自分はどうすればそこから逃れられるだろう?」という対処行動を思いつかなくなってしまうのです。

ウサギがあんまりおびえると、気を失うのと一緒です。

あまりにも自分に嫌悪を感じてしまい、
全力疾走で自分自身から逃げたくなってしまうのです。

けれども、自分からいくら逃げても自分からは逃げられません。
自分の影におびえて、逃げ回っているのと同じです。


そのため、中学生の自己嫌悪というものは「いつでも」「どこでも」沸いて出てきて、
「どこまででも」追い掛け回し、中学生を疲弊させ、
ぴりぴりと神経質な態度へと追いやる、とても面倒くさいものなのです。

中学生の自己嫌悪とは、「自分自身への憎悪」と、
「嫌悪対象である自己を知られたら、一人になるのでは?」という恐怖との戦いなのです。

だから、中学生の女子はとにかく友達と同じものを持ちたがったり、
同じ行動をとったりする割には、(同一行動)
なかなか本音を打ち明けられずに一人でうにうにと悩んでしまうのです。


4.中学生への対処

こんな多感で仕方がない中学生を相手にしなくてはいけない場合は、
1、外見の突っ込みは限りなく入れない。
2、中身の話もできる限りしない。
3、最近何があったかも聞かない。

じゃぁ、何を聞けば?と思うのももっともです。
何も聞かなければ良いのです。
どうせ相手は中学生です、ほっておけば沈黙に耐え切れず何か話し出します。

「君が何を言っても怒りませんよ。拒絶しませんよ。大丈夫ですよ」
という状態だけ作っておけば十分です。

元々、「自己から逃避し自己を拒絶したいという願望の心理状態」
で出来上がっている中学生です。

迂闊に「ここが悪い」「なんで直さないの?」といってもちゃんと聞いてはくれません。
聞いてくれないばかりか、修復のきかない亀裂を作ってしまうことになります。

薄い、けれどもきっつい思い込みでできている中学生に亀裂なんぞ作ったら最後、
よほど口が回らない限り、相手がその感情を忘れ去るまでは口さえ聞いてくれません。

大人しく謝っておくのが吉だと、けろりんは思っています。

その代わり、上手く信頼関係が結べると色んな事を教えてくれます。
学校のこと、クラスのこと、友達のこと。
良く聞いてみると、大体がクラスの中の事柄でしめられていますが、
そこらへんが中学生の限界です。

中学生は別に習い事でもしていない限り、そして何か別なことをやっていたとしても、
関心のほとんどを「クラスのこと」「クラスメイトのこと」に振り分けています。

逆に言えば、中学生は一クラス、多くて35人+先生という非常に狭い世界で
生きていると言い切ってしまってよいのです。
     
昨日のペンギンへ。
第2夜へ。