9月12日


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けろりんをやっていると、思うことがあります。
「何も言ってくれない」

身近な人に「どうだった?」と聞いても、視線をそらされ、
そらした視線を無理やり戻して「どうだった?」と聞いても、目をつぶられ。

と、けろりんが必死こいて書いたとしても、せつなくて仕方がないほどに反応がないのです。

寂しいです。
ものすごーく寂しいです。

そんな切なさを全力で感じつつ、最終夜である第4夜は、
「社会人の自己嫌悪」と「今までのまとめ」で突っ走ってみたいと思います。
     
 
   
   
   
   
   
1、社会人の自己嫌悪

自分探しの旅に出たままかえって来なかったり、社会からドロップアウトしようとしてみたり、
と、自由を満喫しているのだか、大学受験のウサを晴らしているのか、
よく分からなかった大学時分からは大分落ち着きを取り戻した社会人。

流石に旅に出る必要性も、社会とある程度うまくやっていくコツを見つけ始めたり、
「忙しくて、前みたいに自由になる時間が無い以外全然変わらないよ!」という叫びぐらいで、
割とざくざく生活している社会人にも、一応、自己嫌悪感らしいものはあるのです。

ただし、中学・高校・大学の時のように、人の言うことや自分の中身が激しく気になったり、
何か傷つくことがあったからといって、いつまでもそれを引きずるようなことは、
今までと比べて減っていきます。

けれども、社会人にだって弱点はあります。

今までありあまる時間の中で、自分がやりたいと思った事だけやっていた時期の直後に、
一気に時間もなくなり、やりたくないことばかりさせられるようになっていき、
「仕事だから」と割り切っていても、どこか、虚無感が感じられる時期。

こんな時にちょっとした失敗をしてしまった日には、
「自分ってこういうのに向いて無いのでは…」とぐったりしてしまったり、
「そもそも、これって本当にやりたいことなんだっけ?」と自分目的探しを再開してしまったり、
「自分って自分を見る目がないよなぁ」と自分に対してへこたれてしまったりと、
日常の一部分から、自己嫌悪感を拾ってきてしまいます。

大学生の時の自己嫌悪感と感覚的には似ていますが、
「自分はこれでしかない」という事を悟ってしまっている分だけ、爆発力が高くありません。

じんわりじんわりと自己嫌悪感が起こり、いつまでもそれに浸かってしまう。
それが、社会人の自己嫌悪感の実態なのです。


2、社会人の実態(えせ心理心理用語で説明編)

世の中でもっともたくさんいるであろう「社会人」
流石に「子供です」と言い張っても信じてもらえず、責任ばかりを追及される社会人に
「代わりに何かやってあげましょう」という人はいません。

頼みの綱の親でさえ、気がつけば、自分のことを頼るようになってしまい、
いつしか、自己嫌悪感を感じる機会や暇がなくなってしまうのが実態なのです。

「いや、そんなこと無いよ、しっかりばっちり感じているよ!」という人は、
社会への貢献度が足りません。
もっときりきり働いてください。
そのうち、自己嫌悪感で悩む暇がなくなります。

と、そんなアバウトな研究しかされていない社会人(未婚・子供なし)ですが、
これが「結婚」「子供あり」になってくると、少々勝手が変わってきます。

未婚だったことが結婚することによって、
自分の責任が自分だけのものではなくなるというリスクに、
「相手に迷惑をかけてしまう。何で今まで努力しなかったのだろう」と自己嫌悪してみたり、

子供がいなかった事から、子供がいることによって、
「自分がすることが、子供に影響を与えてしまうことがある。」と自己嫌悪してみたりと、

自分自身の自己嫌悪にもかかわらず、「自分以外の大切なものの何か」に対して
自己嫌悪感を感じるようになるみたいなのです。

立場が変わるまでは、自分自身に自己嫌悪感を抱き、
立場が変われば、自分以外の大切なものが原因となる自己嫌悪感を抱く。

これが、社会人の自己嫌悪感の原因らしいのです。



3、社会人への対処

社会人と一括りに説明しようとしても、範囲が広すぎて説明しにくいのがこの時期。
なので「独身の社会人」と「子供がいる社会人」の2つにわけ、
大雑把に説明していこうと思います。

3−1 結婚していず、子供もいない社会人の場合

先ほど上の「社会人の実態、えせ心理用語編」でも述べたように、
自己嫌悪感が高くなるのは、大学生の時とさほど差はありません。

その代わり、大学生のように時間があるわけでも、今の自己を形成しなおす機会も与えられていないので
一度自己嫌悪感を抱いてしまったら、じわりじわりとその自己嫌悪感に襲われ続ける羽目になります。

大層めんどくさいですし、延々と悩む原因にもなります。

対処としては、「大学生みたいに時間が無いから」とか「もう、やり直せないし」と、
自暴自棄になったり、問題を直視しなかったりするのではなく、
「では、原因は何なのか?」「それを変えていくにはどうすればよいのか?」
という事を考え、実行していくのが一番だと、けろりんは思います。

片付けられない、そもそも気が利かない。

そんなことが自己嫌悪感の原因でしたら、「気を使うふり」をしてみればよいのです。
1回や2回ではただのふりで終わりますが、1000回やったら立派な気遣いの人です。
どこをどう気をつければよいか?がそのうち身にしみて分かってくるような気がします。



3−2 結婚していて、子供もいる社会人の場合

世の中わたっていき、上手く相手も捕まえられ、子供もできた。

そんな、けろりんから見るとワンダホーな人の自己嫌悪感は、
上の「社会人の実態、えせ心理用語編」でも述べたように、自分ではなく、
配偶者、または子供との関係の中での時が多いらしいです。
どちらがより高く自己嫌悪感を感じるか?項目を調べると、
「相手が子供のとき」という事が赤線引くぐらい書いてあったので、
結婚しても子供ができると配偶者が置き去りになるということが
けろりん、なんとなく分かりました。

そんな、自分以外の人が原因で自己嫌悪感を感じてしまう。

そんなときの対処は2つあると考えられています。

1つ:一時逃亡
2つ:仕方が無いので今までの考え方を変えてみる。

1つ目の「一時逃亡」から説明しますと、
人は親になってしまっても、365日24時間ノンストップで親ができるわけではありませんし、
それと同時にやっぱり365日24時間で配偶者という立場でいられるわけでもありません。

にもかかわらず、配偶者でいないといけない時や親でいないといけない時というのが、
何故かこの立場の人達は非常に多すぎます。
ちょっと仕事多すぎです。

と、本気でそう思ってしまった場合、「立場」から一時逃亡するのも対処の一つです。

実際に逃亡かました場合、子供が「親は!?」と泣き喚くことになりますので、
程よく注意が必要ですが、
実親や施設、配偶者の無理やりの承諾等をとって、何の立場でも無い時間、
自分自身という時間を満喫するのも方法です。

なんだか、どこかの女性週間雑誌「主婦・サラリーマンのストレス解消法」みたいですが、
実行できるのであれば、有効的らしいのはたしかです。


2つめの「考え方を変えてみる」というのは、上の方法の対極をなす方法です。
要するに、「今までみたいな自由な時間すべて自分のもの」という考え自体が間違っている。
そんなのを満喫していたからこそ、今自分が苦しいのだからあきらめろ。

という、戦前の思考か受験生に言う激励みたいな考えですが、人間思い込みが重要です。
思い込めば、原因自体がなくなるというパラダイスが待っています。


4、全部のまとめ。

今まで、中学生、高校生、大学生、社会人(一部)と、ものすごくアバウトに説明してきましたが、
これを適当にまとめると、

1、自己嫌悪は年齢によって変化する。
2、自己嫌悪解決は環境や年齢によって変化するからである。
3、でも、自己嫌悪はなくなるわけではない。
という、3行で終わるものでした。

けれども、3行で終わらすにはちょっと切ないものがありますので、
これをさらに心理用語で説明すると、

人間の自己嫌悪を感じる時に現れる心理状態とは、
自己から逃避し自己を拒絶したいという心理状態(自己攻撃) からはじまり、
自己へ向けられた怒りといらだちの心理状態(自己蔑視) とうつり
自己に対するさげずみとあきらめの心理状態(自己差別) となってしまい、
異端者意識を抱えた自己の、周囲との違和と孤独の心理状態(自己異端視) とはしり、
自己を激励し、鼓舞しようとする決意の心理状態(自己激励) と、ちょっと変わっていき、
自己の現実の消去と再生を願う心理状態(自己再生願望)
過度の自省からの揺り返しによる自己否認と自己弁護の心理状態 (自己弁護)
自己の現実を引き受けて自己を再評価しようとする心理状態 (自己再評価)
という段階を経て、なんとなーく自己嫌悪感がゆるくなっていくものなのです。

けれども、別に自己再評価段階に到達したからといって、自己嫌悪感がいなくなるわけでもなく、
本人の状態に合わせて、段階が下がったり、またゆっくりとあがっていったりと、
一生、寄生虫のように一緒に生きていく羽目になる感情の一つなのです。


一生ついてまわる自己嫌悪感。
言葉から見るとなんとなく悪そうな生き物ですが、本当に悪さをするだけのものではありません。
「自分のここが嫌だ」と全力で信号を送ってくれるがために、とてもわずらわしいものですが、
使い方さえ間違わなければ、自分を見直し、自分を修正するよい機会になるものなのです。


けろりんは読むと痛い。

時折、そういってくださる方もいらっしゃいますが、
「なぜ痛いと思うのか」、たまには考えてみるのも一興かもしれません。


4夜分のご清聴ありがとうございました。(ぺこり




して、今回もアンケートがありますのでご協力していただければ幸いです。
     
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